世の中に沢山ある信号ですが、車の運転免許をとったときに、そのペーパー試験の学習で、青信号というのは、車なり歩行者は「進んでいい」ということを初めて知った。前に行かなければいけないという思い込みがあったわけだから、これは実際の道路の実情とは少し違うということでしょうか。


青信号は行動に例えられて現状から前にゴーだ、ということですが、僕の場合どうだったかというと、常に青信号は出ていたはずなのであるが、世の中の実際を掴んでいないのと、自分に自信というものがほとんどないということに加えて、精神疾患でそのパフォーマンスに周りが少し警戒することがあったから、ことごとく足がすくんでいたということです。


少しずつ前に進み始めたのは、いわゆるもうどうなってもいいやという気分で身体を投げ出すと、意外と厳しいばかりと思っていた周りの状況が何とかなることも出てきたと、手応えを感じ始めたということからきます。


生活のためには何とかしないといけないという、他人から見るとお粗末な体たらくなのであるが、身体も気分も何処まで青信号は続いてくれるでしょうか。


プライドが高いとはあまり言えないと思うし、他人にも指摘されたことはありません。


これはプライドと関係がどれくらいあるかわからないが、昔20歳くらいの時にコンビニの店員でカウンターに立っていて、お客さんに商品の袋詰めのやり方を指摘されて謝ったことがあるのですが、その時隣にいた同世代の店員の男にそんなにぺこぺこすることはないと軽くキレられたことがありました。


謝罪したのは相手が怒ったことが怖くなって反射的な出た行為だったので、その頃はとにかく世の中の多くの出来事にビクビクしていたから、自分が不適切な行動をとったことを反省する冷静さなど持ち合わせていませんでした。それが若い店員にはいわゆるプライドがないと見られたのかもしれない。


自尊心というか、自分のとった行動にケチをつけられる言われなどないと突っ張ることに正当性などないのですが、この頃は歳をとって気が短くなってきたのか弱気になって譲る気分にはならなくなってきました。





誰を信頼し、誰に頼らないのかというのは、今ここまで生きてきて思うのは、頼らないことに関しては一見してこの人にはそういう意味で関わりたくないなという人はすぐわかります。


問題は信頼するということです。これもある程度まではという条件付きで、全面的に頼るということは避けた方がいいなという現状です。


どんなに性格がいいというか、力のある方としてもこちらの意図したこととは違った意見を出されたり、下手するとハシゴを外されるような目にもあってきたものです。


人は見た目とか言われるが、どんなにいい人でも100%信頼などあり得ません。というよりあまり頼らなくていいのなら、それに越したことはない。


頼れるものは己のみというところまではいかないが、この辺りまでは他人の話を聞くに値するとかいう線引きは何処かでしたほうがいいと思います。