母になっても、元気に美しく
産後の心と体を快適に。
マドレボニータ
産後セルフケアインストラクター
・
ヨガインストラクター
長野奈美です。
先週の木曜日から
三女が胃腸炎でダウンしていました。
久しぶりの看護生活!
このコロナ禍で、子どもたちもよく手洗いをするようになったからか、この1年まったく熱も出していなかったので
「おお!久しぶりですな、この感覚」でした。
(というか三女は体がすばらしく健康で、赤ちゃんのころから高熱や胃腸炎がほとんどない!)
インスタで「実はただいま看護中でして…」のシリーズを連載しています。
その中で
「その③ まさか坐薬が入れれんて…」を
こちらでも転載しようと思います。
10年間、共働きで看病も乗り切ってきたら
こちらの希望・要望を伝えなくても
2人で連携して動けるようになった
と先の投稿で書きましたが、盲点がひとつ。
夫も看病一般はできるようになっていると思っていたんですが…
坐薬が入れれんて、どーゆーこと(怒)となった話を。
夜の看病はだいたい一晩交代でするのが
なんとなくなルールなわが家。
最初の嘔吐のときに最も近くに
ノーマスクでいた夫の方が感染リスクが高いだろう
ということで、初夜の看病を志願してくれました。
たぶん、何度も吐くだろうな、と思っていたので
吐き気止めの坐薬を冷蔵庫から出して
使用方法を(2/3本と書いてあったので切り方、入れ方など)を
懇切丁寧に伝えて、私も就寝しました。
朝起きたら「何回も吐いて大変だったよ」と疲労困憊…
「坐薬はやっぱりできんかった! やってよ」とサラッと。
「できんかった」じゃなくて、チャレンジした形跡もないやんか!
怒りをぶつけても、もはや仕方なし。
ぐっと堪えて「ちゃんと見といてよ!」と。
夫の中には、どこか
「僕ができんくっても君がやってくれる」
という考えがあるのだと思います。
別にそれでもいい。
私だってできなくて、夫にやってもらうこともあるのだから。
でも、こと育児や家事になると
それは「父だから」という逃げに感じてしまうのは
私だけでしょうか?
私だって逃げたいこともあるけど
最後に責任を持つのは「親」だからと思って
やっていることがたくさんあるのです。
夫に言えてませんが、いつかきっと
子育てが終わる前に、ちゃんと伝えるぞ。