盲蛇に怖じず | 井蛙之見(せいあのけん)

井蛙之見(せいあのけん)

毎日、いい音楽を聴いて、好きな本を読み、ロードバイクで戯び
楽しく話し、酒色に耽り(!)、妄想を語り、ぐっすり眠る。
素晴らしきかな人生!
井の中の蛙 大海を知らず 
されど、空の蒼さを知る
(五十路のオッサン、ロードバイクにハマる。)

若い時は少しくらい尖がっていたほうがいい。

私も若い時から生意気だったので、特に、年長者からは疎まれたとは思う。

もっとも姿勢を変えることはなかったが、それなりの対価は支払った。

この年まで生きていると、当然、そればかりでは済まないが、気持ちの上では

守りに入ることはない。

 

私は若い人と話をすることが好きである。

生硬ながら「自分にない発想」なり感性なり知識を得ることは刺激や参考になる。

先日も、そんな機会があった。

 

ただ、面白かったのは「相手がいかほどのものか全くわからない」のに

ずいぶん横柄で舐めた物言いをするものだな、というところ。

「盲蛇に怖じず」というところか。

私は「生意気ではあったが」相手の力量がわからないのにマウントを取ろうなど

思ったことはない。もっとも今でもマウントを取ろうなどとは思わないが

相手の手のうちがわからないのに仕掛けたりはしない。この点は今も昔も変わらない。

正直、年長者からすればこんな砂利を転がすのは赤子の手をひねるよりたやすいのだが

とりあえずは様子を見る。

彼らは「自分ほど偉いものはない」「無双状態である」と息巻いて

相手を舐めてかかっているのがよくわかるので観察している側としては面白い。

林修先生によれば負ける者の3つの共通点は、「 情報不足・慢心・思い込み 」

なのだそうだ。まぁ、言っても無駄か。

こんな手合いは自尊心を少しくすぐってやれば簡単に堕ちる。

芸能界やらスポーツ界を見渡せば一目瞭然だろう。

彼らは自分への「正当な」評価が狂っていることに気づいていないので

「目いっぱい背伸びして」「自分の持てる知識を動員して」話す。

いささか牽強付会の感は間逃れないが、まあ、いい。

確かに「知識や才能はある」しかし、やはりそれを生かす知恵が足りない。

語る言葉は力強いが、行動力が伴わず上滑りしている。

「若い時」「若さゆえ」なのことなら微笑ましくて結構なのだがこういった

類の子たちを観ているとあまりにも無知でひ弱だ。

攻められたり、無視されたりすれば、そのまま、鬱になったり、引きこもったり、

対人恐怖症になったり・・・実際、そういう姿をよく目にする。

潰されて心を閉ざしてしまえば、どんな言葉も届かない。

 

生意気なのは若さゆえの特権だが、いつまでもそれが許されるわけではない。

ここで、「なにくそ」の精神で馬力を発揮し見返してくればいいのだが

大体そうはならない。大抵は一度の失敗で終わってしまう。

そういえば、今、流行の異世界物は40代、続いて20代に受けているのだそうだ。

いずれにしても「もし自分がこの世界の住人だったら無双なのに」という諦観なのか、

安っぽい現実逃避が心地いいのだろう。

 

泥水をすすっても、踏みつけられても、他人に騙されても這い上がるくらいの

根性がなければ、その「生意気さ」は生きてこない。

「好きなものをやり続けて生きていく」などということが、どれほど大事で

大変なのか、本当のところよくわかっているまい。

誰かがやってくれるわけでも手助けしてくれるわけでもない。自分でやるしかないのだ。

失敗し続けても、成功するまでは諦めない精神が大事なのだが・・・・

そう思いつつ若い人たちの話をニコニコしながら聞いている。

自分もそうだった。誰もが通る道だ。

立ち止まって人生を見つめなおすことが必要な時が来る。

もっとも、それまでに、心身ともに潰れていなければいいのだが・・・。

 

「たとえ、一文無しになっても私にタコ焼き屋でもやらしてみ。

必ず這い上がってみせますよ」(マダム信子)