名前が売れる=金になる・・・が? | 井蛙之見(せいあのけん)

井蛙之見(せいあのけん)

毎日、いい音楽を聴いて、好きな本を読み、ロードバイクで戯び
楽しく話し、酒色に耽り(!)、妄想を語り、ぐっすり眠る。
素晴らしきかな人生!
井の中の蛙 大海を知らず 
されど、空の蒼さを知る
(五十路のオッサン、ロードバイクにハマる。)

動画サイトなり、ブログなり、勝手に相手がサイトを利用し、その人のコンテンツ

に訪れることで、金がその人に入るシステムが確立されて久しい。

先行利益のみならず、日々、こうしたものは膨大化していく一方である。

一日に人がスマホなどをいじくる時間は4~5時間(らしい)。

下手な広告をテレビに垂れ流すよりも見込み客の目に触れる機会が多く

ピンポイントで見込み客に刺さるので費用対効果は高いと、

企業もこちらに広告費を投入する。

 

当たり前のことだが誰にでも等しく一日は24時間である。

時間を労働の対価とする仕事は「時給〇〇円」で、上限がすぐにわかる。

これが一人相手に一時間○○円頂く仕事をするのと、

動画サイトにコンテンツを流し再生回数一回当たり〇〇円で不特定多数に

「勝手に見てもらい配当を頂く」のとどちらが効率的で莫大な利益になるのか、

など考えなくてもわかる。

しかし、どんなに優れたコンテンツでも衆知されなければ埋もれてしまう。

ところが、おそろしいことに何かのきっかけで、コンテンツが知られ広がれば

何千、何万倍の価値を生む可能性がある。

一夜にして見る世界が変わる。

「時間給いくら?」などアホらしくなるのも頷ける。

 

手っ取り早く言えば、名前が売れれば金になる。

全世界で同時に情報発信される今の世の中では、スピードは命だ。

そして、莫大な利益の元がいつでもそこにはある。

フロイトは語る。

「人を動かす欲求は2つしかない。性欲と偉くなりたいという欲求である」

人間の「偉くなりたいという欲求」は承認欲求ともいえるもので、名前や存在が他人よりも

大きく知られ、話題となれば、自然と人をも動かすので「名前の価値は上がり」

やがて、人々から称賛される存在となる。なるほど、万々歳だ。

 

内的なエネルギーは性欲が牽引し、「名誉欲」がニトロの役割で更に拍車をかけ爆発力を生む。

人が集まるプラットホームが提供され、人々に利用されることで価値が吊り上がってゆく。

すべてのコンテンツは「集客できなければ金にならない」

そして、取引時間などない世界では相手の都合でアクセスされるので時間給といった

概念は存在しなくなる。労働とは何ぞや?

 

ユーチューバーのヒカルさんは先行利益の話ながら実に有益な話をしている。

「稼げる系の情報商材を売っていた時代があるが、100人いてもそのうち、それをキチンと

やれる人なんて3人くらい。確かにやれば有益なんだけれど97人が途中で諦めるので

合ってようが間違っていようがどちらでもいい。」

これは何も情報商材とは限らない。

深夜通販番組でよく見る運動器具とか、エクササイズのDVDなんかが該当し

「ちゃんとやれば効果がある(のもある)」がしんどいのでやめちゃう、というのがそれ。

通信教育などの販売教材も同じ。勉強嫌いな奴があんなもの自分を律してやるか。

ライ〇ップの価値は「見張ってコミットしてくれること」とホリエモンさんは喝破している。

ヒカルさんとかホリエモンさんなんかは、インターネット時代ならではの法整備が

出来ていないところの「隙間産業」でバチクソ儲けたのである意味とても説得力がある。

そこに実態があるかどうか、モラルがどうこうといったことは当面は関係はない。

とりあえず、人が群がり、求め、金を落としてくれるシステムさえできれば

それでいいのだ。

ルールは、そのうちに作られ、善悪の判断なり違法という見方が発生し

規準が生まれる。

 

人は嫉妬の生き物である。

ネット環境は平等に弱者でも意見が書ける。どんなつまらない意見も言える。

他人がどう思うかとか間違いかどうかなど関係ない。しかも匿名である。

橘玲さんが著書(「バカと無知」)のなかで書かれているように

「きれいごと社会」&善意の名を借りた他人へのマウンティングが常態化し

正義の名の下では、いくら罵倒しても許されるような雰囲気がある。

以前の世の中では「情報が伝わる環境や時間」が遅かったので、そんなことは

あり得なかったことが今では当たり前のようになされる。

しかも、世代や国など関係なしで。

「言論の自由」「表現の自由」と自由は結構なのだがこれと対になる

責任についてはなぜか言及されない。

麗しい民主主義の悩ましき問題である。

 

今日、主の資金からの使い込み&違法賭博で解雇が言い渡されたとされる

「世界一高額なスポーツ選手」の通訳さんなど、この先どうなるのだろうか、などと

どうでもいいことなのだが心配をする。

かつて所属していたチームからも過去に解雇を言い渡されそうになった経緯もあったが

こんなタイミングででるあたり今回のコレもなにか関係はあるのだろうか。

有名になりすぎ、賞賛ばかりされてきたこの人の醜聞は、世界中を瞬く間にめぐり

その非難は想像を絶するものだろう。

「有名になる=金になる」は、逆に言えば、その大きさに比例して

嫉妬、羨望、やっかみなど人間の負の感情を刺激する。

賭博依存症と暴かれ、理想的な「相棒」像が一瞬で打ち砕かれ、「裏切られた」と

世間が認知した瞬間の憎悪は想像を絶するものだろう。

しかしながら、「異次元の存在」が常に彼の隣にいたのだ。

彼自身にも負の感情があっただろう、と想像する。

誰もがうらやむ環境と思えるかもしれないが、ただでさえ息苦しかったはずだ。

どちらにしても、人間の感情に大きく左右されるのは賞賛であれ、嫉妬であれ、

普通の人間ならば正常な精神を保つのは難しい。

こうしたものに手を染めていたのが事実だとしたら少しばかりの刺激では

他人のいろんな感情を打ち消すことが出来なかったのかもしれない。

日々夢心地のような世界にいて、感覚が麻痺してしまったのだろうか?

 

福本豊さんが国民栄誉賞を打診されたとき、「立小便ができなくなるから」

(「見本にならないといけない、自分の行動に自信が持てないから」)という言葉で

辞退したのは有名な話。

こういったブログを始めた時は私も「フォロワーを増やしたい」とか「商売につなげたい」

とか思ったが今ではそんな気持ちはサラサラなくなった。

世間体など気にせず、どこの組織にも属さず、誰にも意見されず、特に必要ともされず、

たとえ「井の中の蛙」であっても自由気ままで何事にも束縛されない生き方が一番性に合う。