とある詩人のお話 | むすび

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天巫泰之

先日、おやすみするときに、突然、とある詩人のことが心に浮かんできました。

私が社会人として仕事を始めた頃、二十代だと思われる男性が、アルバイトとして入ってきました。長髪で黒縁のメガネ。今でも鮮明に覚えています。

私も小学校の頃から詩や物語、漫画を趣味で書いていました。
彼とたまたま詩の話になり、休憩時間に、彼はノートに書きためた詩を私にみせてきました。詩の内容は覚えてはいませんが、魂がこめられた言霊がたくさん書いてありました。

私が、世にだしてみたらどうかというと、彼はこの詩たちを世に出すつもりはないと答えました。

私にとって、自分のつくる詩、物語、音楽は、子供のようなもの。
種を植えて、芽をだすことのない植物たちは哀れだと思う私です。
かならず世に送り出すという気持ちがとても強いです。
評価されようがしまいが、世にださなくては作品たちがかわいそうだし、もったいないと思っています。

毎年、たくさんの詩や物語たちを応募し、音楽もオーデイションにだすだけでなく、YouTubeやほかのSNSにて公開し、有料配信サイトでも販売しています。

私はたくさんの詩、物語、歌たちに励まされ、癒やされ、後押しされてきました。
人の言葉に、「目から鱗が落ちる」経験もしてきました。
その人からは人は十人十色なんだということを教えてもらいました。
言葉や音楽には、とても大きな力が宿っていると確信しています。

書籍や雑紙、新聞にも掲載され、小さな賞もいくつか入賞、入選してきましたが、まだまだもっとたくさんの人たちに読んでもらいたいし、聴いてもらいたい。
そして、つかのまでも楽しんでもらえたら、こんなにうれしいことはありません。

そして、ひとつの言葉や音楽が、なにかのきっかけ、ヒント、背中をおさせてもらえるものになれば、こんなに幸せなことはありません。

自分の詩をださないという、彼の想い、考えもまたひとつの考え、想いだと想います。
私は彼のことを思い出すたびに、ほんとうはそれが本来のアーチストなのかもしれないと、なんとなく憧れとうらやましいという気持ちがわいてきます。

生きているうちは不遇でしたが、死後、最大級の評価を受けて、今なお愛されているアーチストたちのように。

ですが、私はアーチストではなく、クリエイターだと思っていますし、エンタメの人だと思っています。彼のようなアーチストに憧れつつも、私は私の道を歩んでいくだけです。


                (了)

星谷光洋MUSIC『ありがとう』
星谷光洋の作詞作曲・弾き語り