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ペン表卓球への道

大阪市在住のサラリーマンです。趣味は、卓球、読書などです。大学時代までやっていた卓球を再開しました。現在、卓球練習を週1回2時間、試合を月2回のペースでやってます。

 今日は、「1970年代において、世界で最も活躍した日本選手は誰か?」についてブログしたいと思います。


 先般、44年振りの世界卓球選手権男子シングルスメダル獲得か?と騒がれた2023ダーバン大会も終わりました。結局、張本選手がベスト8に入りましたが、今回も残念ながらメダル獲得には至りませでした。

 よく調べてみると、44年前(2023年−44年=1979年)に日本選手の小野誠治選手が金メダルを獲得しています。



●1970年代において世界で最も活躍した日本選手は?

 個人的には、世界で最も活躍した日本選手は河野満選手だと思っています。


○1970年代の男子のベスト3
1、河野満(断然いちばん)
2、高島規郎
3、小野誠治


「卓球知識の泉」(藤井基男著)より




1、河野満
 世界へ初出場の67年ストックホルム大会から数えると、77年にバーミンガムで世界チャンピオンになるまでの間に、6回連続世界選手権に出場し、次のような活躍をしている。

・67年:団体優勝・シングルス2位
・69年:団体優勝
・71年:団体2位(長谷川、伊藤、河野)
・73年:団体3位
・75年:シングルス3位
・77年:団体2位(河野、高島、前原正浩)
     シングルス優勝(30歳)

 活躍期間が長く、頂点の高い選手だった。ペンホルダー表ソフトの前陣速攻型。中国式と異なるのは、バックのショートは小さく止めるショートが多く、相手を前に引き寄せると共にループドライブの連打を防ぐ。そして、独特の逆モーション攻撃(フォアハンド)でチャンスを作ってスマッシュという河野式卓球を完成させた。

(出典:「卓球知識の泉」より)



(出典:YouTube「世界卓球選手権1977決勝」)




2、高島規郎
 カットを主体とする堅実型の頑張り屋。75年カルカッタ大会で、体育館に雨がザーザーもってきて約一時間の中断がなければ、バテていたステパンチチ(ユーゴスラビア)との準決勝に勝てたかも知れないという「惜しまれるシングルス3位」もあるが、なんといっても73年・77年・79年、そして81年の団体入賞に堅実なプレーで貢献したことが光る。

(出典:「卓球知識の泉」より)



(出典:「YouTube「世界卓球選手権1977」)




3、小野誠治
 79年ピョンヤン大会の団体戦を終わった時点で、小野はシングルスの優勝候補ではなかった。だが、大会後半の個人戦に入ると一戦ごとに強くなっていく感じで、中国3選手を破って決勝へ進出した。
 郭躍華選手との試合では、前陣でショートをうまくまぜ、積極果敢に得意の強力スマッシュ(通称カミソリスマッシュ)を決める。これに対して郭は台から下がり、動きまわってドライブのプレーが多く、最後には足の筋肉を痛めてキケン。ツボに来たら、低いボールでもスマッシュを打って出る、しかもそれが高い確率で成功するという日本伝統のよさを生かした小野選手の優勝だった。巧妙なサービスも効いた。
 この時の小野選手は近畿大学を卒業したばかりの伸びざかり。大学時代に、一日平均6時間の練習、時には深夜までやりこんで大学の守衛室に泊まりこんだという。それに加えて、一日10キロのランニング。こうした下地があったからこそ、団体戦で7敗(17勝)もしたのに、シングルスでは一戦一戦、自信と力を深め、土壇場で大爆発したのであろう。

(出典:「卓球知識の泉」より)



(出典:「YouTube世界卓球選手権1979他」)




●1981年以降、日本は無冠が続いている!

 世界選手権の優勝記録からすると、日本は以下のように、81年以後、無冠が続いている。

1977年に、KONO(河野)が優勝。
1979年に、  ONO(小野)が優勝。
1981年に、     NO(無冠)となった。

2025年に、HARIMOTOが優勝?


(出典:「卓球知識の泉」より)