「笑いを忘れた日」(荻村伊智朗著)を読む | ペン表卓球への道

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大阪市在住のサラリーマンです。趣味は、卓球、読書などです。大学時代までやっていた卓球を再開しました。現在、卓球練習を週1回2時間、試合を月2回のペースでやってます。

 今日は、荻村伊智朗さんの本「笑いを忘れた日」の紹介です。


笑いを忘れた日 」(卓球王国ブックス)
 荻村伊智朗(著)、今野昇 (編)

 伝説の卓球人・荻村伊智朗自伝




第一部
「卓球・勉強・卓球」より

第一章
卓球をはじめる〜高校時代〜

 卓球部を作ろう、わからずやの校長、三つの条件、夏休みのアルバイト、練習試合、ラバーの失敗、有頂天に水、素質の診断、努力と清潔、あぜ道のランニング、カットはやめよう、バックハンドを使わない高校時代、大将同士の決戦、カット対カットの応酬、不公平な審判、ルールの改正、しまった!、なんとか上手になりたい、一冊、また一冊、ケガをする、碁と卓球、まぐれの優勝、合宿練習、一日も卓球を休まずに、卓球マニヤ


第ニ章
笑いを忘れた日〜努力の日々〜

 都立大に進む、入院、一人練習、壁打ち、一流プレーヤー、攻撃は最大の防御、52年のボンベイ大会、卓球バンザイ、佐藤が負けた、おれがやるぞ!、全日本軟式で初優勝、カットマンに逆転負け、雲仙、テントでの決意、スポンジによるカット打ち

 全日本予選落ち、人前で泣く、スポンジはやめなさい
 その日の日記に「笑いを忘れた日」と書きました。「もう卓球をやめられない。負けてやめるのは挫折だ。今までの一心不乱の何年間が挫折だなんて承知できない。必ず納得のいくプレーをやってからやめよう」と思った。

 転換期ー日大への転校、大きな誤算、性格の研究、ハングリー精神、一回余分に練習、無名から有名へ、アジア選手権、二つの敗因、全日本硬式、関門を突破


第三章
速攻でいきます〜51%理論〜

 80万円の自己負担金、募金活動、荻村ってだあれ?、非情な候補合宿、カットの名手、藤井基男、マイルズ選手、藤井則和さんを訪ねる、佐藤博治さん「一球で流れが変わる」

「速攻でいきます」と51%理論
「51%理論」とは
 荻村伊智朗さんが考案し、国際的には1954年の世界選手権で初めて採用して成功した戦術。スピード抜群だが、ボールコントロールの難しいスポンジラバーを使っていた時代に、堅実なカットを得意とするヨーロッパ勢を破るために考えたもの。カットを攻めるときなどに、粘るボールはミスをしない、スマッシュは51%以上の確率で入り、それがすべて得点になるーという場合に、大胆にスマッシュしていく戦術のこと。
(「卓球まるごと用語事典」(藤井基男著)より)

 テーブルマナーと笑い、PULL、レディーファースト、バーグマンの談話、ウォータルーブリッジ、誰に許しを得て、ラケットを替えたのか、すごい人ーアンドレアディス


第四章
チャンピオンになる〜世界選手権ロンドン大会〜

 拍手と足音で騒然、審判も敵、ジョーク「石炭を食う日本人」、対ルーマニア戦、5対○の完勝、対ハンガリー戦、シドとの試合、黙って見つめる長谷川監督、対チェコでの田舛、そして優勝、個人戦が始まる、練習ができない、攻撃対攻撃、偉大な監督、イギリスの国民感情


第五章
ふたたびチャンピオンに〜苦悩の日々〜

 見聞をひろめる、同じ21歳、おめでとう、一戦お願いします、よし!、複雑な心境、続く遠征・試合、肝炎になる、栄光からドン底へ、チャンピオンにかえり咲く


第六章
コーチとして〜卓球と世界平和〜

 短編映画「日本の卓球」、卓球を続ける、スウェーデンに招かれる、アルセヤ少年、OGIMURA、噴火山方式、ファイサル国王、ファハド皇太子、文化衝突、コーチの条件、自己否定


第七章
ピンポン外交〜政治とスポーツ〜

 オランダのユトレヒト大会で相手選手を救った事件、大したことではない、中国での北京大会、周恩来さんとの出会い、素直な話に感動する、文化大革命、傅基芳、英語での会話、67年の中国の不参加、名古屋大会、ピンポン外交


エプローグ



第ニ部「スポーツは世界をつなぐ」より

第一章
オリンピック種目になった卓球

 ソウル大会から登場、美しい画像No.1、サラマンチの提案、卓球でディナーショー、国旗・国家を使わなかった卓球連盟、憲章改正、卓球の人気が高まる、全身複雑選択反応


第ニ章
世界をつなぐ

 卓球協会への復帰、国際卓球連盟会長に、自立への歩み、国際卓球連盟の自立、予選なしの直接参加、91年の統一コリアチーム、コリアの合同練習、2年間に80の国を訪問、コンクリート製の卓球台、財政面の自立、アウシュビッツで生き残ったエーリッヒ、相手があってこそ、文革の中での逆転劇


第三章
卓球が強くなるために

スポーツは自己表現
①体の中にリズムを作る
②体をやわらかくしよう
③頭もやわらかくしよう
④姿勢をよくしよう
⑤ラリー練習はマンネリにならないように
⑥ハイパー(ハイ・パフォーマンス)練習
⑦脈・呼吸を観察しよう
⑧フットワーク
⑨用具のせいにしない
⑩あせらない


スポーツマンシップ



第三部「卓球ジャーナル」巻頭言より

天才はいるだろうか。いる。それは君だ。

新入部員に贈る言葉
 スポーツマン生活と「節」、初心の「好き」を忘れずに、うまくやれるからすきなのではなかったはず、下手の横好き

 心に二つの矢をつがえまい、育てる心と伸びる心、世代の交替、卓球ニッポンのカタストロフィー

天才プレイヤー3条件ー大切なのは「稀にみる努力」
①ナイフやフォークを使って食事ができること、②ふつうに歩行ができること、③ふつうに会話ができること

 すぐれた卓球選手は必ずすぐれた卓球研究家である、基本とはたしかな、動かせるもの、解決できない条件があってもよい、解決できない条件を孤立させよう

天才はいるだろうか、いる。それは君だ。

(それは、ぼくだ。天才はいないのだろうか。いない。みんなが天才であっていけないなら天才はいない。)

きみよ、評論家になるな、プレイヤーになれ。

 復元力、好ましい結果は、正しいプロセス(過程)があって生じる、発球とサービスの違い、下積みの実力、チャンスをつかむ力、木村興治と小野誠治、伸びるとき、中国の味はなんといってもショートプレイ、無心の勝利と無心の敗北、性格ー第二の天性は、第一の短所をはっきりといさぎよく認めることからはじまる、一に情熱、二に節制



第四部「インタビュー・講演」より

第一章「卓球は、時間と空間の芸術だ」

 就任以来、のべ78ヵ国を訪問、それぞれの国の状況を勉強、ドゥ・スポーツとして、大勢の基礎人口を得ることが大切、環境は厳しいが、中国並みに練習をやらなくては勝てない、卓球のために多くの時間を使うと、ひらめいてくる

 卓球は、100メートル競走しながら、トランプ(チェス?)をやるような競技

 よく卓球を選んでくれたという感謝の念からはじめよう、卓球はますますおもしろい時代を迎える、卓球は知的で、ゲーム性がある。ぼくはゲームの達人だった


第ニ章
「自己の戦術と創造を貫く」

講演「自己の戦術と創造を貫く」
(ガシアン講演会より)

 100メートル11秒て走るリズムの速さ、回転動作がしやすく、高くまっすぐな姿勢、中国の右打ち左押し戦術の限界、得点源の柱が2つ(両ハンド)あるのが世界の潮流、フォアハンドの大黒柱、全身打法の習得という古い設計思想、ペンもシェークも2本柱卓球を、ミスを続けていっても最後には入るようになる、という考え方、日本の全身打法への美意識、ガシアンは打法を使い分け、70〜80%は上半身打法、試合で使わない全身打法で練習するのは不経済、レシーブミスを含んだレシーブ戦略がなければ速攻同士では勝てない、世界の卓球は上半身打法、指、手首の打法で行われるだろう


あとがきに代えて



「荻村伊智朗」とは
 1932年、静岡県伊東市に生まれ、東京へ移住後の高校1年で卓球を始める。

 遅いスタートであったが、集中した競技生活・1日8時間の練習・新兵器スポンジを使った<快速サービス+強力スマッシュ>、それに自ら考案した「51%理論」を実践し、1954・56年に世界チャンピオンになり団体5連勝を含め日本人最多の世界12タイトル。著書も多数。

 1987年から亡くなる94年まで8年間、国際卓球連盟の第3代会長をつとめた。(日本大学卒)
(卓球まるごと用語事典」(藤井基男著)より)



(参考書籍)

・「荻村さんの夢 」(卓球王国ブックス)
 上原久枝・藤井基男・織部幸治(編)
 UFOの会

・「卓球・勉強・卓球」(岩波ジュニア新書)    
    荻村伊智朗(著)

・「ピンポンさん」(角川文庫) 
  城島充(著)