2021年12月4日(土曜日)
敦賀市立博物館の元館長で
現在奈良大学教授の
外岡慎一郎先生による
『第19回吉継カフェ 大谷吉継研究の最前線』
に行ってきましたぞ~(・ω・)ノ
今回は2通の書状が紹介されました。
ひとつは
(伝)千利休書状
(坂東宗稜旧蔵、徳島市立徳島城博物館所蔵)
大谷吉継と千利休
繋がりがあったことに
驚きましたΣ(゚Д゚)!
コロナの影響で
現地で書状についてのことや
実物を確認することは出来なかったそうですが
もしこの千利休書状が
ニセモノだったとしても
わざわざ大谷吉継宛の
ニセモノを作るだろうか??
とおっしゃってました。
なぜならば、古田織部等
利休七哲宛の方が
価値としては高いそうで・・・(;´▽`A``
なるほど~
お金にしようと思ったらやっぱり
『古田織部』
って書きますね〜((φ(-ω-)カキカキ
文化人としての大谷吉継の姿を
チラッと拝見できただけでも
嬉しいのですが
今後の調査にて新発見がありそうな
期待大の千利休の書状でした(*´ω`*)
そして、もうひとつは、
羽柴秀次(賀茂別雷神社社文書)の
大谷刑部少輔、平塚三郎兵衛尉宛の書状。
日付は2月21日だけ入っているのですが
年代はわからず。
↓レジュメより<(_ _)>
それがですね
ひとつひとつ紐解くと
年代がわかるんですって!
Σ(゚Д゚;エーッ!
まずは、大谷吉継の官職。
『刑部少輔』は
豊臣秀吉が関白になった
天正13年7月(1585年)以降。
羽柴秀次の参議昇進(関白)は
天正14年11月。
以後『孫七郎』と署名してないそうです。
以上のことから
天正13年7月から
天正14年11月に
書いたものとわかり
2月21日の日付だけ記してあるので
天正14年2月21日になるんですねー♪
スゴ━━━━(*゚∀゚*)━━━━イ!!
いろんな角度から物事をみると
わからないことがわかってしまう。
興奮しちゃうなぁー♪
学ぶって楽しいヾ(≧▽≦)ノ
そして書状は、
聚楽第造営に伴う
寄宿をめぐる
大名と寺社の争いを収めるよう
大谷吉継と平塚三郎兵衛に命令した内容。
ちなみに
平塚三郎兵衛が平塚為広かは
わからないとのこと。
聚楽第についてはこちらを見てね↓
聚楽第の工事に
全国から動員された大名は、
京都の寺社を強引に
寄宿地にしようとして
問題になることが多かったため
大谷吉継は両者の間を
取り持っていたことがわかるとのこと。
ここで
大坂や京都であった
千人殺してその血を舐めれば
病が治ると信じて
病に罹った大谷吉継が命令して
殺してるという噂が流れた
『千人斬り騒動』の話が結びつくのでは?
というのですよ~
なんで(。´・ω・)???
秀吉の強引な聚楽第工事
↓
工事のため全国から大名たち集合するも
↓
寄宿地の問題等いろいろ
↓
不満が募るけど現場総監督の秀次、
ましてや秀吉になんてもっと言えない
↓
じゃあ
中間管理職の
大谷吉継に不満をぶつけよう!
↓
『千人斬り騒動』勃発てな具合。
事件は会議室で起きてるんじゃない。
現場で起きてるんだ!
『踊る大捜査線 THE MOVIE MONKEY(秀吉) 』
近日公開(ないない笑)
『千人斬り騒動』
は大谷吉継の黒歴史かも⁇
とは思っていたけど
なるほど
可能性がないわけではないこれまた
大変興味深いお話しでした(๑•̀ω•́๑)b
今回もあっという間の90分。
次回は第20回になる吉継カフェ
越前兵第何回から参戦したのだろう??
今後も楽しみな講演になることは
間違いないと思いました❀(*´▽`*)❀
以上、
『第19回吉継カフェ
大谷吉継研究の最前線』
でした( •̀ω •́ゞ)✧ビシッ!!