あれから19年 | 92のブログ

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今日、6月16日は、

俺が大好きだった女性の命日です。


今からもう19年前になります。

2005年6月16日、おそらく明け方頃です。


その女性(Kさんとします)が

就寝前にとあるサイトで海外から取り寄せた

ダイエット薬を飲んで、

床につきました。

そのまま、Kさんは亡くなりました。

まだ23歳でした。


俺は派遣の仕事でKさんのいる会社で

お世話になることになり、

2005年の1月から現場に入りました。

Kさんとはそこで知り合い、

いつの間にか仲良くなってて、

徐々に俺はKさんを好きになっていきました。


しかし、

ゴールデンウィーク明けの5月9日、

俺は現場が異動になり、

そこからKさんとは会えなくなってしまいました。

5月9日の朝に現場に出勤して、

荷物をまとめてすぐに出てしまいました。

その時に会って軽く挨拶したのが

Kさんとの最期の会話でした。


約1ヶ月後の6月16日、

元いた現場から連絡が来ました。

Kさんが無断欠勤している、と。

俺に、何か知らないか?と聞かれたが

当然、5月9日以来会ってないし連絡もしてないから

何も知らない。


翌日の17日昼頃、

現場で上長に廊下に呼び出された。

その上長は、俺が元いた現場から

俺と同じタイミングで今の現場に来た人だ。

その人が、声を震わせながら

「Kさんが亡くなったって……」

と言った。

俺は

「え?……」

としか言えなかったのをハッキリ憶えてる。


Kさんが無断欠勤した日、

結局、終日なんの連絡も取れなかったらしく、

過去一度も無断欠勤などしたことなかったKさんが

なんの連絡もせずに休んだことを

怪しんだ現場の上司と同期のコが、

16日の夕方、

寮になってるアパートに直接出向いたそうだ。

インターホンを押しても返事がない。

Kさんの携帯に電話をかけると

部屋の中から着信音が鳴るのが聞こえる。

アパートの大家さんに事情を伝えて

鍵を開けてもらうと、

部屋には倒れているKさんがいた。


死因は、

「ホスピタルダイエット」という薬だった。

当時は「合法ドラッグ」と呼ばれた薬で

今では「脱法ドラッグ」や「違法ドラッグ」と

呼称が変わった、日本では認可されていない薬で

要するに麻薬の一種だった。

国内で最初のホスピタルダイエットによる死亡事故として、テレビのニュースでも流れました。


※合法ドラッグという呼び名は、

あたかも合法であるような

間違ったイメージを与えるということで、

Kさんの死後に「違法」「脱法」へと変わった。


どういうダイエット薬か?というと、

海外サイトで有名ハリウッド女優とかが

広告にも使われていて(無許可の可能性もあるが)、

食事の前とかに飲むと痩せる、と謳ったもの。

痩せるには痩せるのだが、

その仕組みが

「脳に直接、満腹だという信号を送って

 満腹中枢を操作し、

 食事を摂らなくても満腹になった気にさせる」

というもの。

食事を食べてないのに、

食べたと脳が勘違いしてるから、

食べなくても腹が減らない。

食べていないから当然痩せる。

つまり、

麻薬と同じ仕組みだったというもので

麻薬も言ってしまえば、

脳に直接、快楽という信号を送って、

何だかよく分からないけど、

勝手に気持ちがハッピーになる。

ホスピタルダイエットの効能はそれと同じだった。


薬に慣れた人や耐性がある人なら、

何らかの中毒性が発症し、

継続して薬を買い求めてしまう沼に

ハマったかもしれないが、

Kさんは当然そういう薬は初めてで、

身体や脳が薬の刺激に耐えきれなかったのだろう。

おそらく一発であの世へ旅立ってしまった。


俺はそれらをだいぶ経ってから

人づてで聞いて知った。

だが、6月17日に訃報を聞いた時点では

そういう情報はまだ一切なく、

ただただ悲しみに暮れるだけだった。

今でもあの時の衝撃は忘れずにいる。

俺よりも年の若い人が死ぬとか、

頭に微塵もそういう考えが浮かばなかったから、

この世の出来事ではない、信じがたい、

とうてい受け入れられない話だった。


6月19日(日)、仙台の斎場で行われた通夜に参列し、

翌20日(月)の葬儀にも有休を使って参列した。

そこで、棺に入れられたKさんの顔を見て、

初めて、死を現実として受け入れた。

受け入れざるを得なかった。


帰りの新幹線の記憶がほとんど無い。

傷心と喪失感で頭が真っ白だった。


Kさんからしてみれば、俺は

単なる仲の良い仕事仲間の1人にすぎない。

別に恋人でもないし、

Kさんに好きだと俺から告白したこともない。

だからこそ、

ものすごく後悔した。

俺にとっては

もう既にこの世で一番好きだった女性だった。

死ぬなんて思ってなかったから、

まだまだゆっくり時間をかけて

徐々に仲良くなって、

いつか告白しようと考えていた。


けど甘かった。


実はKさんの人生の残り時間は僅かしかなかった。

それが分かっていれば、すぐにでも告白したのに。

OKだろうがフラレようが、告白さえしていれば

何かしら彼女から答えをもらえていたはずだった。

それすらも、もうできなくなってしまった。


あれから19年。

だから、

俺は今もKさんを愛しているし、

今でも独身を貫いている。

正直、そんな気持ちのままで

Kさん以外の女性を好きになんてなれなかった。

そして、これからも。


これも俺の運命なんだと思った。


6月16日とは、

俺にとってそういう日です。