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気づき、認め、受け入れ
そして成長していくことの繰り返しなのではないかしら、と思うこの頃
何かに一生懸命になったり、忙しくしていると 、疲れていることにも気づかないくらいに夢中になってしまったり 、遂には枯れ枝のように疲れ果てて、体調不良でやっと自分の体の状態に気づくなんてことないでしょうか
からだも精も根も尽き果ててしまって、なんでこんなに頑張っていたんだっけ?
なんてこと、なんど繰り返しているんだろうと思うことが、今でもときどきあります
(p_-)
目的を見失わないで、ヘトヘトになるぶんには達成感もあるのですが
疲れ果ててから、目的を見失っていることや方向が間違っていることに気づいたときの脱力感…
以前よりはそんなことも減った気がします
なに以前かというと、体の不調により生活の仕方や考え方が変わってからでしょうか
歩けないほど、目が覚めてしまうほど下半身が痛くなったり
原因不明の蕁麻疹がとまらなかったり
アレルギーが悪化して咳喘息になったり、などなど…
体の不調ですべてが一時停止をして、なんでこんなことになっているのだろう?
と考えざるおえなくなってしまったのでした
体調不良で心地悪い
→やりたいこともできないし、効率が悪く、感情的になりやすい
→どんどん心地の悪い自分になっていく
"(-""-)"
「体が不調でどうにも心地悪いけれど、心地よい自分でいるにはどうすればよいのだろうか?」
まずは自分にとっての心地よさに立ち戻ろう
全てそこから、色んなものを選び直してみようと思いました
体の不調は、そんな考える時間と気づきの機会を与えてくれたのでした
どこまでやってしまうと、自分の体には不具合が出るのか
どこまでならば翌日に疲れを持ち越さないのかを改めて意識してみたことで
色々なことにストップをかけるタイミングを掴んできました
自分のリミットやウィークポイントに気づいて、それを認めて、改善策をたてる
この流れができてくると、自分の居心地も少しずつよくなってきました
(*´з`)♡
体と心が変化すると、同じものを見ていても同じ場所にいても、また新たに気づくことがでてきます
それを毎日繰り返していると、心身のバランスの振れ幅の波が緩やかになり
気づくことのスピードと量はより加速し増えているように感じます

さて、前回のつづきになります
『自分を育てる - 健康・不健康にはランクがある / 高橋和己』
を読んでの記述です
精神科医である著者は、とあるアメリカの施設で“普通の健康状態の発見”の機会を得ます
その施設はアユルヴェーダの医学体系をもとに
“病気を治すための治療”ではなく
“健康増進のための治療”を目的とした先進的な研究が行われていました
つまり病人にではなく、健康な人を対象とした治療です
そこで彼は一週間ほどヨガや食事療法や診察などの、快適で心のこもった
リゾート休暇のような治療を受けることになります
その治療は、汗や尿・便などの人間の自然の排泄作用を積極的に利用して活性化させる
「パンチャカルマ」と呼ばれるからだの浄化法でした
具体的には、ヨガやサウナ、食事療法などなど
彼は治療の経験を通して、“普通の健康状態”と"より高い健康状態"を発見するのですが
それは治療の最中にではなく、治療が終わって元の日常生活に戻ったときでした
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最初に自分の体に注意が向いたのは、一週間の「治療」が終わり、ボストン空港で帰国の便を待っているときであった。
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そのときに、いつもとは違う自分の体の感覚に気づいた。それは、自分の体を軽く感じるという感覚であった。
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この自分の体の変化をなんと表現したらいいだろうか。たとえば、いつになくぐっすり眠れた朝、ベッドから起きだした後に私たちはまだ半分眠っている自分の重い体に気づく。
そして、やがて徐々に目覚めていくときに、次第に体に力がよみがえっていく感覚を持つであろう。このときの感覚とそれは似ていた。
目覚めの意識の中で、まず第一に私たちは眠っている間に忘れていた自分の体を思い出す。
それは自分の体の重さを感じることで始まる。
大きなあくびをして背伸びしたときに感じるのは、まだはっきりとは目覚めていない体の重さ、けだるさである。
重い体は自分の思ったとおりには動いてくれない。しばらくすると、自覚した自分の体のその重さの中に、今度は軽さが広がっていくのを感じはじめる。
はじめ重く、だるくさえあった体は頭がすっきりするのとと歩調を合わせて次第に軽くなり、自分の思い通りに動くようになる。
この軽さが広がっていく感覚は、熟睡間や朝の健康的な気分の基礎となっている。
この段階で私たちは軽さという質の中に自分の体をはっきりと自覚するのである。
しかし最後に、やがて体がいつもの調子にもどっていくころに、私たちはふたたび自分の体を忘れる。
洗面や朝食、これらの一日の仕事に没頭しはじめて、体は私たちの意識から消えるのである。
朝、目覚めて一度自分の体を思い出し、ふたたび自分の体を忘れるまでの間、言い替えれば目覚めてから日常の活動に没頭するまでのほんの短い間だけ、私たちは自分の体を自覚しているのである。
空港での体験は、この朝の目覚めのように重さから軽さへ移り変わっていくときの感覚に似ていた。軽さを感じながら私は長い間自分の体を意識していたのである。
朝の体験と異なるところは、それが数分間の短い間隔でなく、何時間か続いていたことである。また、起きたばかりのような重さやだるさはなく、体の軽さだけを自覚していた。
そして、一方で待合室の中を通り過ぎていく人々を眺め、その服装やしぐさ、断片的に聞こえてくる英語の会話に注意を向けているときでも、 私の意識は完全にその外界の出来事に没頭しているのではなく、同時に自分の体の感覚を失っていなかった。
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ひとは体に変化が起きたときに、自分の体により意識が向くようになるんですね
しかし忙しく考え事が多く過ごす現代人は、普段の生活の中で意識することはなかなか難しいのかもしれません
そして私がそうであったように多くの方が体調不良の変化で生活に支障が生じて、体に意識が向くようになるのではないでしょうか
((+_+))
しかし、この本の著者の高橋先生は健康からより健康への変化で体に意識が向くようになったんですね
できれば先生のようになりたいものですが、痛みは必要なタイミングで必要があって起こるとか
何かに気づかなければいけないとき、変えなければいけないときなどに
蕁麻疹で病院へ行ったときに、先生から
「症状がでているということは、おめでとうと言ってもいい段階なんだよ」
と言われました
痛みはひとを進歩させるものでもあるとのこと
からだってすごいな~
('ω')
高橋先生は帰国途中やその後の生活の中でも、より自分の体に意識を向けるようになり
健康にランクがあることを体感・発見しますが…
それは、また次回に