もともと僕の父は「和菓子屋」の長男だった。
だが父は、「和菓子屋」が大嫌いだった。
それは父が小学生の頃、学校から帰って来ると、
売れ残りの「和菓子」を売りに行かされ、
夜になっても、暗くなっても、
売り切るまでは家に帰れなかったというからだ。
和菓子と言っても昔は「餅屋」だったらしい。
朝も暗い内から、餅米を研いで、ぺったんぺったんして、
日が昇る頃、できていなければ、
商売にならなかったという。
父はそれがイヤで、学校を卒業したら、
営林署に勤めたと言う。
そうすると山の中を歩いていたら、
あるとき「うるし」にまけて、
全身が腫れ上がり、死にそうなめにあったらしい。
それで「山がダメなら、海があるさ」と
ある網元を尋ねてそこに丁稚奉公を始めたら、
戦争が始まり、満州に行かされ、ついには
シベリアまで行ってしまったのである。
シベリアのソ連軍の捕虜になり、
すっかり共産化して、戦後3年経過して帰国したらしい。
日本に帰ってきて、共産主義をぶち上げ、
街頭演説をして全国を行脚したらしい。
そのとき、まだ俺はこの世にいない。