一昨日/昨日と出張で

宮城県は石巻市、M地区/O地区へ

目的は、防潮堤をはじめとする復興計画の進捗状況についての

住民説明会の傍聴と

その他漁村地域の現地調査



・・・


説明会には住民の方が30名程で

会場の仮設集会所は満員

とはいえ高齢者中心なのは、平日昼間という開催時間だけの問題ではない


・・・


暫定的であった防潮堤高さの確認や

道路や漁港の復旧の状況、今後の工程を

役場の担当者が、道路課、水産課と入れ替わり立ち代わり、簡単に報告していく

おおよそ共通しているのは

防潮堤高さが決まらないと、他事業もなかなか進みにくいという事

仮設に住む住民からは

・いつ頃、諸々の工事は完了するのか。そして仮設住宅から移れるのか

・危険区域に指定された自分の土地の売価はいくらか

に関する質問がまず寄せられた

いずれも比較的近い将来の、自分の生活を左右するものだ


・・・


国が買い取るとされる、危険区域の土地に関しては

はじめは宅地以外(雑種地)も、浸水区域であれば全部買い取る段取りだったが

財的な要因で、買収は宅地のみとなっているとの事

とはいえ、宅地+私道や駐車場が雑種地の場合等で

まとめて買い取るパターンもあるという

こうしたケースバイケース的な処置は

土地買収のみならず、様々な状況で適用されるのだろう


・・・


また、既往第2位津波レベルに設定されている防潮堤高さに対し

懐疑的な意見もあった

人工物による防災のみに頼る事の危うさを

住民は既に気付いている


・・・


その後、海岸線を辿る様に幾つもの漁村集落を視察

1年弱、被災地に足を運ぶ事はなかった自分にとって

現地の姿は気になっていた

先ほどの説明会の地区と同様

他地区においても、明確な事業計画が決まっているところは少なく

(特に宮城は、岩手より復興計画が遅れ気味との事)

その為、単に見た目だけの問題で言うと

地震発生から1年後までの変化に比べ

1年後から現在における変化は少ないように思える


・・・


去年度の下半期に

岩手県のOU地区とOS地区の復興計画に関わらさせて頂いた時は

今後の住民と行政と復興計画を考える上での『たたき台』として使ってもらえるようなモノを、と

住民の方々の意見を基にマスタープランを作成させて頂いたけれど

(とはいえ、マスタープランはあくまで実際の事業計画とセットでないと何の効力も持たない

だからこその『たたき台』で、これを基に事業計画を設定していければという意向)

自分の中で、復興に対する具体的な答えは見出せずにいる


・・・


今更、言うまでもないけれど

地区レベルにおいては

「住民によるカウンターパート」をいち早く設定/運用できるかが

復興スピードに直結する最重要事項であると感じる

自治会でも協議会でも、何でも良いので

(とはいえ多様な個人属性/業種によるものがより望ましい)

説明会(という名前の問題でもあるが)における

行政(あるいは専門家)→個々の住民という一方通行の構図からの脱却をはかることで

単なる進捗状況や、情報提供の場としてではなく

住民サイドの合意形成を基軸として

行政や専門家と対等な立場で

創造的な議論を進めていくことが可能になるはず

今回の、1000年に一度とも云われるレベルの災害復興において

行政も専門家も、何も分からないのだからこそ


・・・


震災復興については、いずれ論説としてまとめてみようと思う
ここのところは、学会に投稿すべく

論文を執筆している

ただ『執筆』というのは厳密には間違いで

まだまだ紙面に載らない段階のスタディを

延々とアタマの中で繰り返している


・・・


高度成長期以降

農山漁村における都市部への人口流出は著しく

それに伴う過疎化や高齢化、産業の生産機能の低下は

言うまでもなく、従来から問題視されてきた

こうした状況に対し

近年の『まちづくり』手法の多様化に伴うかたちで

いわゆる『交流事業』と概括されるような取り組みが

各地で行われている

勿論、主たるコンテンツは地域によって様々ではあるが

このような新たな活動に共通する目的は

地域資源の再価値化を通じ

交流人口の拡大をはかる事だった


・・・


こうした状況下において期待されているのが

農山漁村へ(主に)若者を一定期間派遣する、人的支援制度

これは狭義の『交流人口』の拡大のみならず

実際に地域に住まい

地域社会の担い手として積極的に活用していくというもの


・・・


現代社会に対する価値観の変化も相まって

これらの制度に対する社会的な関心は高く

一定の成果を挙げている事例もみられる

一方で、その手法や役割に関しては

受け入れる地域側の自主性に委ねられている部分も多く

人材そのものが『流動的な担い手』である事から、課題も多い


・・・


また、人口流動が活発な現代社会において

その意識は薄れつつあるものの

農山漁村部の地域社会の共同性や、地縁組織への帰属意識は

都市部に比べて健在である

先述の人的支援制度においては

こうした中で普段のコミュニティとの関わり合いも不可欠になる

『まちづくり≒コミュニティ』という図式はもはや一般常識のように云われるが

その『≒』から僅かに漏れた部分

多くのまちづくり屋は知ってか知らずか、なし崩し的に切り捨てるが

人的支援制度によって農山漁村に派遣される人間には、それは許されない


・・・


重要なのは

『流動的な担い手』と地域、それぞれにおける意義を尊重した上で

基礎的生活の上で成り立つ社会関係資本の醸成/維持と

(これがつまり『≒』から漏れ出る(と予想される)部分)

地域づくりへの貢献を両立させる事


・・・


そうなると大前提的に

『流動的な担い手』との協働を基軸とした

長期的な地域マネジメントの為のビジョンを

地域側が持ち合わせているか、という議論になる

しかしながら、冒頭に述べたように

①地域外の人間である事

②若者(派遣を希望する人間は大学生くらいの年齢が多い)である事

そして、③流動的である事

唯でさえ、途方も無い数の地域がその発展、或いは現状維持に四苦八苦しているのに

『流動的な担い手』というクセのあるプレイヤーの

メリット/デメリットを加味した上で、地域づくりのビジョンをつくっていく事は

容易ではない

地域づくりのキーパーソンはワカモノ・ヨソモノ・バカモノだ、などと頻繁に云われるが

50年、いや10年続けられますか?と問われれば意外とキビシイものなのだ


・・・


などと、悲観的な書き面になってしまったけれども

一口に人的支援制度といっても、様々な種類があるのだ

総務省の『地域おこし協力隊』が有名だが

NPOが運営しているものも沢山あり

募集から派遣まで全て地域に任せ、実質的な財的支援に留まるもの

派遣中もきめ細やかなサポートが存在するもの

ルールも様々である


・・・


受け入れる地域の意向としては

「とにかく何かしら、地域の刺激になってほしい」

「これを期に、できれば定住してほしい」

ざっくりとした、上記2点によるものが大部分だろう

あまりに場当たり的ではあるが、初めはそれでも良いと思う


・・・


とはいえ長期的に描かなければいけない事も沢山ある

地域住民が、ヨソモノやワカモノとの交流に『慣れる』事や

地域の課題や改善点を浮き彫りにさせる事

その為の取り組みを、派遣終了後に地域内の誰かが受け継ぐ事

同時に、『流動的な担い手』が地域を離れても貢献できる役割を設定してあげる事

定住を見込むのであれば

ただ単に「居心地が良い」「みんな優しくしてくれる」といったホスピタリティに留まる事なく

地域内にしっかりと、行きていく為の雇用の場を設ける事


・・・


受け入れを継続しながら、そういった取り組みを戦略的に蓄積しつつ

種々の人的支援制度を『併用』する事や

より地域のニーズに近い制度に『乗換』する事

地域内の人間だけで活動やプロジェクトを回す、つまり人的支援制度からの『卒業』も

ビジョンの片隅に置いておくべきだ


・・・


そういう事を考えて続けている

何とか論にしたいなぁ

友人に充てた手紙


・・・


こんにちわ

ほぼ健康体です

元気です


・・・


新年度ですね

温かくなってくるし、それに伴い草木が茂り出して、桜が咲いて、

まぁ毎年毎年どこであっても、

この時期は何とも心機一転めいた雰囲気です


・・・


人間が多分そういう風にできてるんやろね

冬から気温が持ち直して、桜が咲くと、何か始めようという気になる

でも果たしてそれは良い事なのか?と思う時もあるわけで

やり残した事とか逃げたい事を忘れるには、おあつらえ向きな春

時節に振り回されんな、と自分に言い聞かせる昼下がりです


・・・


【自戒の短歌】

積もったり/冷えた自分の/リセットを/待つだけならば/春はいらない


・・・


改めて自分に言い聞かせよう
■4/4(月)

東京は少しずつ

でも確実に

普段通りになってきている


・・・


地震速報が流れても

その場所に居なければ揺れないし

それに伴う、実態としての痛みを

共有する事もできない

それに対する歯痒さだったり悔しさも

果たして感じるそれは本物なのだろうか


・・・


これから数年、数十年と続く歩みに

少しでも貢献する義務

自分も含め、色んな境遇に居る人間が

試されている
また随分とご無沙汰してしまった

空いてしまった日々をサルベージしつつ

ざっくりと日記を


・・・


■11/5(金)~15(月) 卒論&VON研

10:00からVON研で作業

夜は研究室で卒論チェック

ある意味、規則的なリズムが

ほぼ毎日続いた期間やった


・・・


持ってきた梗概に

ペンを入れながら、色々と指摘する

卒論/修論に限らずこの時期は

客観的に見れる人間がそばに居る事が必要で

別にそれは先輩でも後輩でも、誰でもいいと思う

指摘箇所が修正できていなかったり

いっぱいいっぱいやなぁ、と

傍から思う事も多いけど

遅かれ早かれ、いずれ自分もそうなる訳で


・・・


最近のVON研での作業は

『まちづくりニュース』的な、広報紙のようなものを

担当させて頂いている

よりクリエイティブな仕事を任された背景は

自ら直訴した訳ではなく

実力が認められた訳でもなく

ただただ、人数のキャパの問題

所員の方はもっと難儀な仕事をしているのだ


・・・


以下、読んだ本

穂村弘『世界音痴』

工藤公康『47番の投球術』


・・・


うーむ

やっぱ日記は毎日書かなあかんなぁ
□11/3(水) 文化の日

『TOKYO DESIGNERS WEEK 2010』なる催しを見に、明治神宮へ

最終日、そのうえ祝日

混雑を覚悟して、自転車で会場へ

ブルーで統一されたそこに着いてみると

まぁ朝一で行ったのが良かったのか

そこまでの混雑は無かった

デジカメ片手に早速うろうろする


・・・


デザインというものは

まぁ得てして普通の発想の少し上を行くもので

心の中で「ほほぉ…」とつぶやきがもれる

平然としてそこに在るモノが

平然としてそこに在るに至るまでの

膨大なスタディを想像するのが

わくわくして、楽しい


・・・


よく分からんモノをいくつか購入して

開場を後にし『BABE』へ

小綺麗なテーブルに

資料とPCを汚く広げてスタディ

ある程度までまとまった後は

ビールを飲みながら、とりとめの無い事を考えてみた

あまりにくだらんので

くだらなさ過ぎて

逆にアタマの中に残ってしまった

あえて活字化してみようかね

題名『ドラえもんの舞台におけるまちづくりに関する一考察』


・・・


『ドラえもん』の舞台で、まちづくりを考えてみる

「のび太君世代(1964年生まれ)」は46歳(2010年現在)

まちづくりの担い手としては決して遅くはない

場所は東京都の練馬区(参考:wikipedia)


・・・


【1】中心人物

この場合、キーパーソンになるのは

間違いなくジャイアン

まちなかの商店を営んでいるという事

なおかつ「昔のガキ大将」としてのカリスマ(?)性

名誉職を快く引き受けてくれそうなキャラであり

市民団体、NPOなどを組織するにあたり

住民を率いていくバイタリティがある、と推測

よって、ジャイアンを中心に据え

パトロンとしてのスネ夫

ファシリテーターとして出木杉氏/のび太、という陣形

(住民の合意形成を導くにあたり

秀才の出木杉だけでは、住民との距離が生まれるのではと予想

そこで頼りないのび太とタッグを組ませて

住民と程よい距離を保っていく)


・・・


【2】拠点

ドラえもんの舞台におけるまちづくり拠点としては

①剛田商店、②空き地、③学校の裏山が考えられる

ただし②空き地については

地権者が不明という事と

ドラえもんは1970年代の話やから

バブルを経た2010年の東京都練馬区において

そのまま残っている可能性は極めて低い

③裏山も、小学校に近いという点もあり魅力的やけど

空き地と同様、地権者が誰かはっきりしないので難しい

そのため

①剛田商店を地域の核として考えていく

まず、本来の商店機能の多様化をはかる

訪問販売などの、高齢化への対応策や

農産物の朝市など、地方との提携等を行っていく

遠方との連携策については、スネ夫(の父親)の人脈を活かしたい

その上で、商店のコミュニティスペース化を進めていく

祭りの復興とか、イベントも取り入れていくべき


・・・


まちづくりを目指す道の上にどこでもドアは無いのだ


・・・


■11/4(木)

10:00からVON研で作業のお手伝い

現在やっている温泉地のプロジェクト関連の資料を

自分の肥やしにもすべく、穴が空く勢いで見る


・・・


18:00から研究室でゼミ

B生の卒論が提出間近で

ゼミもピリピリした空気が漂う

マンツーマンで論文をチェックする事も増えてきた

ドクター見習いとして

さすがにこの時期は、自分の事ばっかりという訳にはいかない

後輩の指導も、当然のタスクなのだ


・・・


最近の目下の仕事である肘折の調査について少し

肘折は山形県の最上郡・大蔵村にある温泉地

先月、教授から話を頂き

そこで行う調査に参加する事になった

研究室、或いはチームで行うものではなく

基本的に個人参加で

色んな大学から、色んな分野の学生(博士課程)が集まり

学際的に行うというもの

他分野の研究者仲間ができるかもという期待や

温泉地という特異な場所を、後々の自分のフィールドにできるかもという野心

断る理由は何一つなかった


・・・


まちづくりに関しての肘折温泉の特徴として

強力な自治組織の存在、という事が挙げられる

中世、様々な集落で『契約講』『講』というものが存在していた

これは、農民達が自分たちのムラを守る為には協力し合わなければならないという必然性から

自然発生的につくられた相互扶助の自治組織

歴史の教科書でよく見る『五人組』と似とるっちゃ似とるけど

これは既存の『契約講』に幕府が目を付け

行政のために利用しようと制度づけたものでしかなく

農村の生活を極度に規制したものだ

対して契約講は、日常生活に溶け合って、全く自由な立場から参加する自治組織であり

『村八分』という言葉にもあるように結びつきは強い

結果として、藩政の終わりと共に五人組は姿を消したけど

契約講は変容しながらも受け継がれている

(それでもさすがに多くは形骸化しているらしいけど)


・・・


肘折の自治組織『肘折三十六人衆』は

言わば、肘折版の契約講

そもそも契約講そのものが

ムラの者だけでまとまろうとする排他的な組織である事に加え

『山奥』の『温泉地』という肘折特有の条件が

排他性をより強いものにした

特に、共有財産である温泉に関する権利関係は

転入者などに対し非常にシビアだという


・・・


『肘折三十六人衆』の役割を通じて

(おそらく『第2の公共』的なはたらきがあるはず)

温泉/湯治場という観光地において

都市計画までは至らずとも

その空間変容に『肘折三十六人衆』が果たした役割は大きいのではないか

言い換えれば

中世以降、変わりゆくまちの姿に

どの程度、自治組織は関与してきたんやろか

そのへんが個人的に気になる


・・・


また、他地域からの転入者も増加し

行政なんかが自治組織に代わり多くの役割を一応は果たしている現在

今なお残る『肘折三十六人衆』は

排他的な性格を残しつつも

ある程度柔軟に体制を変化させてきたのでは、というのが自分の推測

そういう事をふまえて、地域の将来像をあぶり出せたら理想やね


・・・


トマト鍋が食べたい
シンポの翌日は

エクスカーション形式で

支援員の方の案内で、バスに乗ったり降りたりして現地を回った


・・・


案内役のスギザキさん(この方も研究室OB)が

時折いじられながらも、マイク片手にアナウンス

昨日のシンポでも話が出てたけど

こういうキャラの人が

時には住民に支援される(?)形で

地域とのコミュニケーションを深めていく、というケースも多いとの事

確かに池田町のマツウラさんなんかも

こういう感じやったなーと思うと

まんざらタダの笑い話ではない


・・・


地域新聞による情報発信

モミジを植えて、集落の景観を「つくる」活動

(ちなみにこのモミジ、降雪対策の為、添え木がものすごくぶっとい)

活動拠点としての民家改修

話には良く聞くけど、実際に目で見ると

ささやかでも、生き生きとした感触が感じられる

何やら恥ずかしそうに皆の前で説明する関係者(住民)が印象的やった

決してスポットライトを浴びるためやなくて

集落の為に行っている事なのだ


・・・


午後に解散してからは

夜行バスまでの膨大な時間を

資料を読んだりして過ごす

それでも限界が来て

飲み屋で飲む事にした


・・・


テレビのある店を探して歩き回り

ようやく見つけて入った直後

日本シリーズは地上波ではやってない事に気付く

愕然としながら生中を飲んでいると

隣に50代くらいのおっちゃんが来た

何となく打ち解けて話す


・・・


その人は余命が僅かで

日本中を旅して回っているとの事

色々な事を話してくれた


・・・


中国語、フランス語、ロシア語が

世界で最も美しい言語らしい

(日本語はそうでもない、との事

尊敬/謙譲/丁寧の概念はポイント高いと思ったんやけど)

ここでの「美しい」の定義は

話の内容から推測するに「厳格」に近くて

例えばロシア語なんかは

日常会話にも女性格/男性格のようなものがあるらしい

その他色んな話をしたけど

内容は伏せようと思う


・・・


また会いましょう/See you again/再見

そういう言葉の持つニュアンスの粗略さは

ふとした時に気付くもんやね

先に店を出たその人に

どう言葉をかけていいか迷う


・・・


少し飲み込みかけて

握手をして

「良い旅を」と告げた

シンポジウムが終わった後は

少し離れたホテルで交流会

申し込みをしていなかったので

受付で直接参加費を払って、名札を付けて参戦

まーとにかく

若い研究者や、行政の方、支援員の方等々

色んな人と話せた

用意してきた名刺も

交換しているうちに底をつきた

ひとつ思ったのは

名刺に顔写真も入れた方が良いかな、という事

あれだけの交流の中

自分を覚えてもらう事はなかなか難しい


・・・


大分県のとある自治体役場の方と話した

支援員を取り巻く問題、市町村合併の影響を少し

ここでは住民の方が支援員となっていて

前に話したような、高齢者訪問や救急の対応なんかを行っている

(例えば農作業中に怪我をした人なんかを病院へ送迎)

しかし、本来それに準ずる仕事をしている人間がいた場合

乱暴な言い方をすれば、そういう人は仕事を奪われた形になる

そのため支援員と既存の人間の間でトラブルがあるらしい

また、役場の人間が感じる市町村合併の影響を訪ねたところ

①住民からの声、②役場内での声とがあるとの事


・・・


①は、例えばいくつかの市町村がひとつになった時

諸々の「きまり事」を統一する必要が在る

水道料金なんかを統一する場合

高い方ではなく、安い方に統一すべきではあるけど色々難しい、とか


・・・


②については

だいたい行政に携わる人間は

人口の1%程度が適切とされているらしい(ソース未確認)為

市町村合併によって、人員を削減する必要が出てくる

当然の事ながら、公務員はクビにできんから

どうやって人員を減らそうか、となった時に

「新規採用を減らして、徐々に適切な人数に持っていこう」という事になる

(役職の降格なんかも同時に行う為、給料が減る事で役場内で文句も出てくるらしい)

その結果として

まるで少子高齢化の如く

役場内で、若い代の人数だけがぽっかり空くという現象が生まれてしまうのだ

うーむ、なるほど…

人的支援とはまた別に

様々な地域で、そもそもの問題はこのように尽きる事が無い


・・・


その後、駅前の飲み屋に場所を移し二次会

研究室OBの方や、その知り合いの方などと飲む

博士課程というイバラの道を突き進んできた方も多く

「研究者とは?」みたいな話を色々聞いた

長岡造形大のサワダ先生は

「学位は後から付いてくるから、とにかく地域に入り込む事」と教えてくれた

法政大のズシ先生は

「同年代の研究者との繫がりをつくる事が大事だ」という事を話してくれた


・・・


正直なところ、今までは

大して状況も知らんまま

若い研究者は消えてくれ!!と

重鎮は引退してくれ!!と

研究者のポスト不足を、かなり傲慢な形で嘆いとったけど

現に30~40代と若い研究者の方が

ネットワークをつくり、こうして集まっている場を見て

こういう場、自分の代でも生まれたらいいなと

素直に思うようになりつつある

今までの視野が、相当狭かったって事か


・・・


仲間が欲しい


・・・


ネットワークを自分でつくるためには

先ず自分が研究成果なり何なりで

惹き付ける研究者にならなければならんね

シンポを知るきっかけを与えてくれた研究室OBのヤマちゃん先生の言葉

「君の人脈に育ててみなよ」

自分が頑張る事で、果たされる部分があるはず

やってやる!!