本日の朝の小倉さん(フジテレビ)の番組はショックだった。


大熊町?双葉?から(原発所在地)、新潟柏崎市(原発所在地)に、「望んで」避難移転した地域の方々が存在する。


その中で、中学生五人が番組出演していた。質問で「こんな思いしても、まだ原発はあったほうがいいですか?」


という質問に、五人全員が挙手。


「お父さんが原発で頑張っていますから・・・」


この言葉の持つ意味、重さを理解できますか?


東電~協力会社所属の多くが福島県民で、地域も含め共に暮らしている。原発事故の責任の一旦すら、背負ってしまっている子供達が存在することを理解して「今」原発反対運動をしていますか?


双相地区住民の多数が原発と共に40年以上暮らしています。原発、火力発電所がなければ、とても貧しい地域です(住民の方すみません)。



活動家と取り巻き達は、子供たちのため、子供たちのためと連呼するが、それを望まない子供たちが居ることをご存知ですか?



ひとくくりで物を考えて居ませんか?


今一番苦しんでいるのは、紛れもなく、原発事故地域住民で、避難を余儀なくされている住民で、親を原発事故処理に向かわせている子供達や家族なのですよ?


あなた方都内在住の人間ではないのですよ。



原発反対運動は、原発事故の終息化の流れが確立、もしくは安定が計られてからで遅くはないのではないでしょうか?


世論もそう易々とは熱は醒めないのでは?


今のぞまれることは、原発反対の議論ではなく、原発事故の終息(もしくは検証)へ向けての議論ではありませんか?


それら被害にあわれた方々を手厚く支援していくことがあなた方が「恩恵」をたまわった「電力」への報いであり、避難者の多数が原発関連企業に携わる方々への報いではないですか?

(報いの活用法は誤解なきよう)


最弱者を利用するのは、福島県を利用するのは、止めていただきたい。


最後のナレーションで中学生に対して「中学生たちはよく情報を摂取している」とあった。



どうか、今は子供たちの心を考えて欲しい。


もし、仮に、万が一、あなた方が、【本当】に「未来の子供たちのために」を唱えるのなら・・・

憎しみ、悲しみ、恐怖、絶望、喪失、無念、。


精神も物質も歴史も絆も藻抜けのからとなった福島県沿岸部。


友人達は口をひらけば「死んだほうがましだ」と言い放つ。

私は言葉が出ない。

史上最大規模の大地震、関東大震災に次ぐ死傷者数。

そして人類史上初の震災による原子力発電所の被災事故。


未曾有の危機である。


南相馬市、大熊町、双葉町、富岡町、浪江町、友人達が存在し、月に一、二度は訪れる。海が碧く続き海岸では、夏には海水浴からキャンプ、サーフィンから釣り船と余暇にはうってつけの素朴で自然豊かな景観が連なる地形である。

港町は気っ風があるが、こと原子力発電所所在地沿岸部は小さな町の点在するのどかな地域である。


ネットでは要らぬ誹謗中傷を目にする。

「20キロ圏内者は何故避難しない、自業自得」


「東京都に電気売って補助金で潤ってるくせに」と・・・


誘致主体と雇用創出政策と交付金である。


県民で齢40を越えるものならば県政史と一部為政者の失政は大概は理解している。産業基盤の脆弱性に輪をかけたロジックに県民が刹那の一票を付託したのは事実。


戦後の復興をめざし立ち上がる為に必死生き抜いた復員兵だった我々の祖父達。


働き手を失い、やせた田畑を懸命に耕し、命をかけて子を養った我々の祖母達。

沿岸部で、貧しい農家屋に住まい、狭い田畑を護り、子を孫を育み、ひっそりと生き抜いている人間に向けれる言葉であろうか。


子を孫を護りたいがために、政府、東電、御用学者、為政者の「絶対安全安心」に従順してしまった我々の父や母。


今、避難している方々の精神状態はギリギリである。


津波に住まいを奪われた人。住まいは健在だが、放射能に土地をおわれた人。

痴呆の家族を抱えて迷惑をかけるから避難所には居られないと30キロ圏内に戻る人。


気のみ気のままで、お金がなく、子供にオヤツを我慢さる若夫婦。


進学を諦めた大学一年生だったはずの将来の希望を自ら絶とうとしてる青年。


風呂にも入れない年頃の少女。


初孫の入学式に貰い物のランドセルを背負わせて複雑な顔をしている初老の祖父。

避難所を出たくても、行く場所、帰る場所がない方々の苦痛と苦悩は計り知れない。


政府は未だに情報を開示できないばかりか、最大不幸社会である避難所の方々に希望や兆しを明示できない。


弱者である避難者がいわれなき差別と侮蔑を受ける日本国とは一体なんなのだろう。


国民の生命財産を護る国会議員の姿勢は何処に消え失せたのだろう…


我が身も含め自省の念にかられる。
坂の上の雲観て。


明治の英傑、豪傑といわれる偉人に目をうばわれる。

ふと、神代のときより誇り高かかったであろう、この国を想い入ってみる。


古くは元寇襲来から、幕末の黒船来航までと、外来のあまねく危機を乗り越え、重工業、資本主義を採用し、近代国家へと変貌を遂げた我が国、ニッポン。


明治に入り、益々熾烈になる欧米の帝国主義による亜細亜への植民地化政策。脅かされる日本。


日清、日露戦にうち勝つ。

先人は祖国と家族のために散華されていった。


現在の我々は、現在の価値観、物差しでしか物を捉え、考えなくなってしまった。


国旗国歌を例にあげても、これだけ世論を二分する国も珍しいだろう。


靖国神社には、2.463.365柱の国事殉難者がまつられている。


この柱数は古来よりの血のつながりから云えば、誰かが遠縁にあたる可能性がある。


血のつながりこそが、國體であると私は信じて疑わない。


でなければ、南方で、大陸で、あんな悲惨な死に方はできない。


國體に報いるための崇敬な死である。


他方、マルクス主義者、唯物論者は魂の存在を否定し、國體を破壊することを目論む。


過去、マルキィズムがインテリジェンスの要かのように謳われ、感化された安保闘争世代。


140年前の理論で二千年も続く、この国をかえようとする姿態には心が荒む思いがする。



国事殉難者がそうであったように、親が子の命を護るのは世界共通の認識だ。

東京消防庁の会見を目にした。明治の英傑を彷彿させる消防隊の士気の高さ。


我が身を顧みなず命をさらけ出す勇姿は日本人の誇りで日本国の誇りである。