比来、気持ちが沈み、日々暗鬱の中にある。


放射能に怯える生活は、46年生きてきて、感じたことのない体様で苦痛だ。


子供達の顔に斜がかかることが多い。


33万の郡山市民が不安と疑心の中にある。


210万の福島県民が息悶えている。


故郷を棄てはじめた人々。共同体のたががゆるみはじめている。


放射能危機を考えれば、すてるべきだろう。


福島原発事故地域の沿岸部の友人達は「目もあてられない」状態だ。


陰陽が激しく、精神が混乱をきたしている。二ヶ月という時間は何も解決しないばかりか、益々、避難所各人を追い詰めている。


友人の何人かは、東電土下座事件以降、ネットソースを避けるようになった。


私も悪い。


「日垣という作家が双葉町民をおとしめている」とか、「宇田川という保守ジャーナリストが、被害者面と県民を罵倒している」と、毎日たれながすためだ。


物身が消え去った状態で、県民への誹謗と中傷、罵詈雑言が日常茶飯事にネットにまき散らされている。と聞かされれば、みもふたもないはずだ。


しかし、現実には津波で家を失い、放射能に土地と仕事と地域の絆を奪われた人々にムチ打つ、人間の皮をかぶった鬼畜が実に多いことに気づかされる。


押し並べて、極左作家、似非保守作家、似非保守ジャーナリスト、はたまた、知的怠慢者のお子様まで。


福島の地に足を踏み入れたこともない、知悉なき文筆業達が、、、福島県たる誤見が甚だしい電力恩恵者達が、、、わめきちらし、県民を凌辱する。


最早、お祭り騒ぎである。

日本人は何故、こうも寄ってたかっての「イジメ」が好きなのか。


自身を考える。


内心では、イジメを見て見ぬふりをし、楽しんですらいるのかもしれない。



何故なら、おおよそがまったく縁もゆかりもない同じ県民というだけの、知らない人間達がイジメを受けているだけなのだから。


元来、イジメ体質と法則とは、見て見ぬふりをし、加害者でもなく、被害者でもないポジションでイジメを楽しむことが一番の愉悦なのだ。


しかし、イジメを受ける側はたまったものではない。陰湿である。実に陰湿な底意地の悪さである。


例えば、「いい大人」がである。


まがりなりにも、作家、ジャーナリストの類いを標榜している者が「イジメ」である。


これらは一部の悪意な大人の悪行ではなく、大部が持ちあわせていて、深層心理を「未曾有」によりはだけ、表面化した心闇の一事例にしか過ぎないと考える。


弱っているものに、更に追い打ちをかけるのが日本人は好みなのか?とすら考える。憂憤ものである。


仏教、儒教、神道、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教等々、数多の宗教あれど、黄金律をいくら学び唱えても、人間、そうたやすく真理にたどりつくはずもなく。。



一部の粗末な心を持った「大人」が「立場」を利用し、大々的にイジメを行う。


ある日の日常から「未曾有」の災害へシフトした瞬間に、徐に露呈し、続くわけだ。


全体的に個々人には永代する宗教を保持する者は少ないけれど、近代においては、修身的道徳観念や倫理観は、どんなに貧しい地域でも享受できていた。


そんな気高さや、寡黙さなどは、金にかわれば、卑劣な言説や卑しい活字を並べる文筆業らには、まったく関係なく、逆にニーズがあれば、更に面白可笑しく筆を揃えれば良いらしい。


家を失い、土地をおわれ、家族離散、すべてを無くし、心が死線をさ迷っている状態の人々に「すら」批判の鉾を向けるのである。


虫けら以下の愚行としか思えないのは、私だけだろうか…


心傷感じぬ、愚かな物書きが批判精神を楯に物を書くことは、レイプ魔が檻の中で素っ裸でほうりこまれた女をヤリまくると同行為だ。


平皿の如く底の浅いバカな作家と、道徳心の欠片も持ち合わせない似非保守ジャーナリストは「ツカエナイ」ので、今すぐこの世から消えて欲しいものである。


貴殿方が福島県を被災者を「使い捨て」にすると同様の言葉でおかえしするのが妥当だろう。



貴兄らが消え失せれば、万雷の拍手で地獄へ送りだし、ツバをはきかけてやりたく思う。


死にたくても死ねない、すべてを失った「無辜の民」への鞭打ちよりはましであろう?
原発事故による政府、東電、マスコミ、学者、ジャーナリスト、作家、の揚揚加減に悪意すら感じる日々である。


物質的危機、経済的危機を唱える、知識人、文化人、為政者と、実に多い。驚かされるばかりである。拙人このうえない。


東北沿岸部、とりわけ福島県沿岸部は、何もかもが倒伏したままである。


学匠は叡知の集積をはからなくてどうする?

謹告する次第である。


持論である、水稲社会の復権をよく考える。広義では農林漁の復権である。


旧き佳き近代農村社会の起草を、ふと少し考える。


社会学の地域研究は大なり小なりアメリカ社会学からの移入で基礎的成り立ちをえた。


戦前、日本社会の特性を明らかにするために、日本の農村社会学者は農村研究に着手した。


大東亜戦争以前の社会科学の筆頭であるマルクス経済学では、日本の歴史的性質をどう当てはめていくかが問題となった。近代日本の特殊構造がもたらした暗雲ともいえる。


当時、激しい論争が起こった。いわゆる「日本資本主義論争」である。


民俗学の権威である柳田国男を嚆矢とした、農村研究の創始者たちは、論争の核心である「寄生地主制」から派生する、家や村の問題を課題とし抽出していった。


柳田の強い影響を受けた、有賀喜左衛門は、本家一分家の主従関係に基づく「同族団」が寄生地主制の基盤となっていると考えた。

喜多野清一は、家の系譜関係に基づく家と家との生活関連の重要性を指摘した。両者とも農村社会の「家連合」による村落として把握し、こうした家や同族団を日本社会の政治や経済のあり方の基底をなす問題として考察した。


例えば有賀は、日本の都市構造の枠組みをも家連合としてとらえる。


この系列に属するものとして、中野卓の都市社会における同族団の研究がある。

他方、有賀や喜多野に先立って、『農村社会学原理』を著した鈴木栄太郎は「自然村」という概念を提唱した。


鈴木は、農村に累積する地域集団の広がりの違いから3つの社会区域(行政村、大字や村落・部落、小字や組)を区別し、大字や村落の範囲の「自然村」に日本農村の基本的性格を見出だす。


この自然村に蓄積されてきた「村の精神」によって、人々の行動は方向づけられていると考えた。



出発基の農村研究は、単に農村社会それ自体の研究にとどまらず、日本社会全体の特質の解明という意図もあわせもっていたのである。


先人学匠の秀絶なる学問を収受したいものである。

聞きたくない、見たくない単語。

第一位 福島県

第二位 汚染

第三位 東電

第四位 放射能

第五位 原発

第六位 菅政権

第七位 後手後手

第八位 交付金

第九位 津波

第十位 タービン建屋


努努、我が岩代国に於て放射能汚染危機、経済的座礁、自治体環境行政法事案がふりかかるとは・・・


未だ深更。


そもそも国民の関心が復興構想会議に輻輳しているかが甚だ疑問。


政府が選定した有識者とは、政府の意向にそった人選であって、政権支持率と復興会議の存在意義は正比例すると考える。


復興会議メンバーの学識的副因を唱える方がおるが、過去の所謂有識者会議の識者自体に偏りがあることは自民党政権下でも明明白白であった。


菅政権を象徴するがごとき、増税ありきも定石通り、わかりやすい愚策である。

イオキベ、ミクリヤ各々御用学者の多弁が何をかいわんや、である。議論を集約できるものかも不透明。


園児のお遊戯会並みと心得るものである。


菅総理の本日の国会答弁は相も変わらず、自身の正当性を阿ねり、目線は虚ろい、野党議員の質問にはまるで風声鶴唳がことき姿態。


これが現日本国のトップである・・・


被災者が辛酸苦汁の最中に被災者を蔑ろに増税を騙る政府と識者とやらの何を信じればよいと。


身魂注げぬ政者の志を斟酌する国民が何処に居ると。


復興論劈頭、既に興亡の由。

国民と現政権の縣隔は、最早埋めれるものではない。

民主党の解党を強く望むものである。