2024.08.17
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ書6章12節)
ー続きー
たとえば、サウルを肉的にやっつけるチャンスが二度ほどありました。一度はサウルが追いかけてきて、ダビデが逃げているのですが、ダビデが洞穴に隠れているときにサウル王がトイレに行きたくなりました。
要するに大きい方をしたくなって、ふと見ると よいほら穴がありました。それで、そこに行って、しゃがんで大きい方をしていたのです。ところが、すぐ後ろでダビデが見ているのです。非常に無防備な状態にサウルはさらされていたのですが、知らない状態です。
ダビデは、仲間に「今こそイスラエルの王を殺すチャンスです」と言われるのですが、ダビデは祈りの人として答えるのです。
自分とサウルとの関係ではなく、自分と神との関係がここに表れているのですが、どういうことを言ったのかというと、「神に油そそがれた王を、私が殺すようなことをして罪を犯すことをしたくない。そういうことはできない」と言ったのですね。
彼は部下に言った。「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」(第1サムエル記24章6節)
人間的な目で見たら、神ぬきで、自分とサウルの関係だったら今殺すのがチャンスで、これをのがしたらおかしいでしょう。愚か者でしょう。あまりそのような言葉を使いたくありませんが、BAKAでしょう。
兄弟に向かって『能なし』というような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。(マタイ5章22節 後半)
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。(エペソ書4章29節)
でも、神の前でダビデはサウル王を相手にしているのではなく、自分の前に常に神がいるのです。「神の喜びにならないことはしたくない」と言うのですね。それでサウル王を殺さずに、しゃがんでいるサウル王のそばまで行って服の切れ端を切り取るのです。そして、サウル王が出て行きました。
ダビデにとって安全なところまで相手が行ったところで(ダビデは)現れて、「王様、あなたは私を殺そうとしていますが、私があなたにとって何をした者なのでしょうか。あなたは、私を殺すなにものも理由がないはずです。でも、私は今あなたを殺すチャンスがあったのに、神の前で正しいことをしようと思い、そうしませんでした。これがその証拠です」と言って、服の切れ端を出すのですね。
そのとき、サウル王は自分が何をしたのかということが分かって、「あなたが正しい。私が間違っている」と認めて、退いたのです。
そしてダビデに言った。「あなたは私より正しい。あなたは私に良くしてくれたのに、私はあなたに悪いしうちをした。(第1サムエル記24章17節)
いったんは退いたのですが、また追いかけてきて、このようなチャンスがもう一度ありました。次のチャンスは、サウル王が夜に軍隊の中で野営しているときに、ダビデが偵察に行くのです。
サウル王の天幕を見つけたのでそこに入ってゆくと、サウル王がグースカ寝ているのですね。すると仲間が、「今こそ、イスラエルの王を殺しましょう」と言うのですが、ここでもダビデは自分とサウルとの関係ではなく、自分と神との関係を表明するのですね。
「イスラエルの神に油そそがれた方を私が殺して、罪を犯してよいのだろうか」と言って、このときも立てかけてあった槍とそばにあった水差しを盗んで外に出るのです。そして次の日の朝、安全な距離を保ったときに王に話しかけて、同じことを言うのです。
「あなたは私を殺そうとしているけれど、私はあなたは殺さなかった。神の前にどちらが正しいですか」という問いかけをして、「これがその証拠です」と、槍と水差しを証明として現すのですね。
しかしダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。」ダビデは言った。「主は生きておられる。主は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。さあ、今は、あの枕元にある槍と水差しとを取って行くことにしよう。」(第1サムエル記26章9節から11節)
そして、「神の前にどちらが正しいですか」と問いかけるのですね。すると、サウルは、もうこの時に自分が間違っていたということが打ちひしがれるように分かって、しかも二人、三人の証言、二度の証言があって、もう完全に自分が悪いと分かったので、「もう、あなたを殺すようなことはしない」と言って引き上げてゆくのですね。
サウルは言った。「私は罪を犯した。わが子ダビデ。帰って来なさい。私はもう、おまえに害を加えない。きょう、私のいのちがおまえによって助けられたからだ。ほんとうに私は愚かなことをして、たいへんなまちがいを犯した。」(第1サムエル記26章21節)
結局、肉によって戦いをしなかった。ローマ書の8章12節には、「肉の責任を肉は負えない」と書かれています。
ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。
(ローマ書8章12節)
エペソ書の6章12節には、「私たちの戦いは血肉のものではなく、霊的な祈りの戦いだ」と書かれています。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ書6章12節)
もし、ここでサウル王のことを肉的にやっつける。チャンスをつかんで肉によって勝利したとしたら、おそらく違う肉の問題がダビデにふりかかった。別の所から似たような、あるいは、それよりももっと大きな肉的な問題が起こったでしょう。
肉は肉を解決できないのですね。ところが、この問題を霊的な問題に転化するときに、祈りの戦いの中で敵は退いてゆくのですね。
その後にどうなったのかというと、肉の人サウル王は他の肉の人、異民族との戦いのなかで肉によって殺されるのですね。肉が肉によって殺されてしまったということになってしまうという状態です。こういうことは、私も信仰者になった後に何度か経験したことがあります。
ー続くー
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