2024.06.29
モトイさんのブログ
http://kirisutoinochi.seesaa.net/
ー 神が、イスラエルを見逃さない、といわれる瞬間について ー
:1 神である主は、私にこのように示された。そこに一かごの夏のくだものがあった。
:2 主は仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が、「一かごの夏のくだものです」と言うと、主は私に仰せられた。
「わたしの民イスラエルに、終わりが来た。私はもう二度と彼らを見過ごさない。
:3 その日には、神殿の歌声は泣きわめきとなる。 ーー 神である主の御告げ ーー 多くのしかばねが、至る所に投げ捨てられる。口をつぐめ。」
(アモス書8章1節から3節)
<YouTube:「kirisutoinochi1」より>
こんにちは、モトイです。今日のメッセージのタイトルは、『神殿の泣きわめき』としました。聖書箇所は、アモス書8章1節から3節までです。
「神殿の歌声が泣きわめきになる」という今日の聖書箇所の言葉からタイトルにしました。ここの聖書箇所は、北イスラエル王国が滅びの宣告を受けるという預言なのですが、同時に終末預言であるとされています。
そして新約聖書的に言うと、私たちは神殿なのですが、悪いしもべが携挙のあったその日その時に地上に残されて、「主よ。主よ」と地上で主イエスを呼ぶのに、泣いて歯ぎしりをして悔い改めなければならないということも起こると私自身は再三(さいさん:しばしば)言ってきました。
それで、そのことと重ねて見ても、私たちがこういうことにならないために反面教師的に学ぶことはとても多いと思います。
※ 携挙(けいきょ)についてご存じない方は、下記の動画説明欄に詳しい動画をご用意してありますので、そちらをご覧ください。また、その他の関連動画も、ぜひご利用ください。(このブログでは、ブログ後半にある <おすすめ関連動画> のところでご紹介しています)
そういう意味もあるので、まずは私たちが神殿であるということを、第1コリント3章16節から17節を通して再確認しましょう。
ー第1コリント3章16節から17節 ー
ここの聖書箇所は16節以前に書かれていることが土台になっているので、まずそれを説明しますと、私たちキリスト者はキリストという土台の上に自分自身の人生を建て上げているのだという説明があります。そして、その建て上げる材料ですが、金・銀・宝石・木・草・わらなどで建てているというふうに言われています。
:11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この日がその力で各人の働きの真価をためすからです。
:14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
(第1コリント11節から15節*)
そして、あるとき…。その「あるとき」というのは、文脈上、死んだあとに天国に入る時なのですが、あるとき、火による試しを受けるのだと言われていて、金・銀・宝石で何かを建てていた、その金・銀・宝石は火の試しを耐えられるので、天国に報酬として持って行けるのですが、木・草・わらなどで建てていたものは全部燃えてしまうんだと言うのですね。
そして、ある人がキリストという土台を持っているのに、全部燃えるもので自分自身の人生を建て上げてしまったとき、そういう人は火の中をくぐるようにして、全て燃えて損害を受けるけれども、自分は天国に行けるのだというふうに書かれています。
ですから、「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか」という反語で語られているのですね。つまり背教が前提になって、神の神殿であるということを忘れる。あるいは、無視して生きることも可能であるといえば可能だということでしょう。
それで、私たちはこういうガラクタで自分自身の時間を過ごすことなく、神殿として、聖霊なる神との交わりで神殿の役割を果たしましょうという前提でお読みしたいと思います。
:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
:17 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。
(第1コリント3章16節から17節)
アーメン。私たちが神殿なのです。でも、「それを知らないのですか」とわざわざ言うあたりは、つまり、神殿なのにガラクタで満たして聖霊なる神を忘れている。忘れていなくても無視をするということがあり得るということでしょう。
でも、そもそもよく考えていただければ、ヘブル書の12章29節にあるように、私たちの神は「焼き尽くす火」である方なのです。
私たちの神は焼き尽くす火です。(ヘブル書12章29節)
さらに、「すべてのものは火によって塩けがつく」という約束があり、私たちは地の塩・世の光なのです。
すべては、火によって、塩けをつけられるのです。(マルコ9章49節)
送られた場所・場所で、そこで神との交わり、「焼き尽くす火」である方との交わりがあれば、そもそも木・草・わらなどで自分自身の時間を費やす、なにか無駄なことをするということはないでしょう。
あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
(マタイ5章13節)
というのも、ピリピ書の2章13節には、「神はみこころのままに私たちのうちに働いて、こころざしを立てさせるからです。そして、このこころざしを成就させるのも、行動させてそれをなさせるのも、神である」と約束されているのです。
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。(ピリピ書2章13節)
神がこころざし、思いを与えて、そして、それを神が成就させるのですね。これが神との交わりなので、「いま自分自身のうちにこの焼き尽くす火である方との交わりがありますか」ということが、いま問われているということでしょう。
さばきが神の家から始まるときが、もう来ている。そのような時代なのです。それで、「私たちはこのような存在です。火による塩けをいつもつけます。これが私たちの特権です」という前提で、今日の聖書箇所を見てゆきたいと思います。
なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。
(第1ペテロ4章17節)
ー続くー
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REVELATION 3:8