2024.05.18

 

 

:22 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」

 

:23 だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。

 

:24 そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」

 

:25 すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」

 

:26 そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。

(マタイ27章22節から26節)

 
 
ー続きー
 

ここで注目していただきたかった、自分で自分にのろいをかける。自分の子孫にものろいをかけるということですが、こののろいから解放される…。いまはこののろいの中にあって、行く先々で、エレミヤ書の預言のとおりにすべての王国のおののきに もうすでになっています。「オマエたちはキリスト殺しだ」という事も言われています。

 

 

 

わたしは剣とききんと疫病で彼らを追い、彼らを、地のすべての王国のおののきとし、わたしが彼らを追い散らしたすべての国の間で、のろいとし、恐怖とし、あざけりとし、そしりとする。(エレミヤ書29章18節)

 

 

 

そして、こののろいから解放されるのが、国家としてのイスラエルの悔い改めで、それは、お読みしませんがホセア書6章1節から3節ところに書かれている預言です。

 

 

 

さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。(ホセア書6章1節から2節)

 

 

 

イエスを信じ受け入れるという祈りをする。そのあと、三日後にイエスが地上に再臨されるのですが、その情景については、「ひとり子を自分が殺した」として、イエスを仰ぎ見るというふうに書かれています。もう自分が殺したという意識があるのですね。

 

 

 

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のためになげき、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。(ゼカリヤ書12章10節)

 

 

 

そして、その前の段階として…。これ(ゼカリヤ書12章10節)は七年患難の最後の時に実現して、新約聖書のこの時の時代から もうすでに自分たちにのろいがふりかかってきて、キリスト殺しの汚名をあちらこちらで受けるという状態になっています。

 

 

 

でも最初に言ったように、このキリストの血の責任は私にあり、あなたにあるのです。それが信仰者の態度ですが、預言の成就として、ユダヤ人たちは あちらこちらでキリスト殺しと言われている状態でしょう。

 

 

 

そして注目していただきたかった、自分にのろいを振りかけるということですが、これはなにもユダヤ人だけの問題ではなくて私たちにもここから学ぶことは多いと思われます。

 

 

 

というのは、私たちも、もちろんそれはしつけとか、良かれと思ってですが、とくに両親によって「アンタ、そんなんじゃダメだよ」とか、「そんなふうでは、ろくな大人になれないよ」などというような、たとえばそうした親による言葉の害というのがあるでしょう。

 

 

 

良かれと思ってでしょうが、良かれと思わず本当に害をもって毒を下す「毒親」というのも今はありますが、とにかく両親をはじめとして、あるいは社会や学校で のろいをかけられたということもあります。でも信仰者には、この のろいというのは、すべてイエス・キリストの十字架上で処理されたものとされたのです。

 

 

 

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。(ガラテヤ書3章13節)

 

 

 

しかしながら、ひとつ問題があるのです。もしこの のろいを私たちが何らかの理由で握ってしまえば、この のろいの影響を今も受けている。キリスト者なのに(のろいを)握っているということもあり得るということです。

 

 

 

たとえば、「オマエはダメだ、ダメだ」と言われて、「そんなふうではろくな者になれない」と言われ続けて、キリスト者になったのですが握り続けて、自己憐憫になって、「いいんだ。いいんだ。どうせオレなんかこんな者ですので…」と自分で握るということもあり得るでしょう。

 

 

 

あるいは、「いいんだ。いいんだ。放っておいてくれよ。オレは、もうこれでいいんだ」という のろいを握って、なにかをし続ける理由とか、なにかをしない理由にして、この のろいを言い訳にするということも人間的にはあり得るのです。救われる前なら、なおさらあるのですね。これは非常に気をつけるべきでしょう。

 

 

 

では、どうやって気をつけるのかということですが、この世的な自己啓発的にのろいのチェックリストをチェックするというのではありません。

 

 

 

神との交わりの中で明らかにされて、握っているものがもしあったら、それを祈りの中で神に申し上げる。そのことによって神の前に明らかにされたものはもう十字架につけられるので、握っていられない。握っているということから解放された。手放したということになるので、その時点でもう解放されるということがあると思います。

 

 

 

そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。(ヨハネ8章31節から32節)

 

 

 

握っているということさえ分からない、そういう肉的な惑わしにある場合は、神との交わりの中で、キリストは私にとってどのような存在かということをますます分かる。その過程の中で手放すということでしょう。

 

 

 

ますます分かると手放せるのですが、そういう交わりが希薄だと、「いいんだ。いいんだ。オレなんか…」とか、「どうせオレはこうなんだ。こうするんだ。これはしないんだ」というかたちで握って、「オレ」「私」「こうだ」というふうにキリストよりも、オレ、私になって、どんどん握っていることさえも忘れてしまうということにもなりかねません。

 

 

 

しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。(第2コリント3章16節から17節)

 

 

 

そうではなくて、キリストが、どうだ。私にとって、この方が何なのか。どうなのかということを、もっと、もっと知る。それこそキリストを耽溺するくらい、もうキリストにどっぷりと浸かるくらい、キリスト・イエス、イエス・キリスト。

 

 

 

この方で自分があるとわかり続けると、どんどん自分の状態がわかってくるでしょう。手放すことも、それだけ早くなると思います。

 

 

 

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネ14章26節)

 

 

 

ですから、自己啓発的に、「のろいはここにあるかもしれないので よく のろいを見て、チェックリストをつけて…」ということではないでしょう。イエス・キリストがはじめであり、イエス・キリストが終わりなのです。この方が私になにをしてくださったのかを ますます知るときに、ますます解放は進むということでしょう。

 

 

 

そういうかたちで、私たちも個人で自分にのろいをかけていることからの解放ということがあるでしょう。握っていた場合には、そのようなかたちで解放が訪れるでしょう。

 

 

 

ー続くー



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