『祈りの扉』 ① 第2列王記4章1節から7節 モトイ・トクメイさん | こるねりおのぶろぐ

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 2018.05.11

 

◎モトイ・トクメイさんのブログ◎

 

 

 

- 祈りと携挙後の地の叫びについて -

 

 

あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

(マタイ6章6節)

 

 

<YouTubeより>

 

 

こんにちは、モトイです。今日のメッセージのタイトルは、『祈りの扉』としました。聖書箇所は、第2列王記4章1節から7節までです。

 

 

 

この第2列王記4章のところは、有名な預言者エリシャが、空の器(からのうつわ)を持って来なさいと言って、その空の器に油を注ぎ、それが満たされて、経済的な危機から回復されるという聖書箇所です。

 

 

 

それで、聖霊様との交わりとか経済的な回復、あるいは教会の中での空の器、キリスト者ひとりひとりの油の満たしというように語られるところです。奥深いので、いろいろな語られ方をするのだと思いますが、私は今日、マタイ6章6節と重ねて「祈り」ということでお分かちしたいと思います。

 

 

 

マタイ6章6節にある「祈りの扉」が、空の器を満たすというところと関連していると思わされました。まず祈る時には、どのように祈るのかということをキリストが語っているマタイ6章6節。ここから見てゆきたいと思います。

 

 

 

ここは私が大好きなところなので、何度も引用して、何度も解説しているところですが、もう一度、お読みいたします。

 

 

 

あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

(マタイ6章6節)

 

 

 

アーメン。あなたのその「隠れたところで見ておられる父」というのは、私たちの天におられる父なる神様のことですけれども、この地上において、この神に祈るということにおいては、

 

 

 

私がいつも言っていること。すなわち"送られた場所、場所で、その場で祈る。働きながら、通勤、通学の中で、あるいは買い物をしながら、家事をしながら、その場で神につながって祈る"という私たちの役目。地の塩、世の光として、王である祭司としての役目もそうなのですが、

 

 

 

ここで語られているのは、わざわざ時間と空間を聖別して、自分の自由意志で奥まった部屋に入り、戸を閉めて、天の父に心を合わせるということです。

 

 

 

もちろん、いつも祈るという、いつでもそのままで神の前に立てるということが、キリスト者の大いなる特権ではありますが、わざわざ静まって、自分自身を聖別して、あるいは場所も空間もできることなら聖別して、天の父の前に静まっているということの祝福も、ここから読み取ることができると思います。

 

 

 

いつも祈ることが私たちの特権ですけれども、わざわざ時間と空間、場所、自分自身を聖別するというのも、すばらしい祈りの時であろうかと思います。

 

 

 

この「奥まった部屋」というのは、"タメイオン"(tamieion)という言葉で、部屋のさらに奥という意味です。

 

 

 

窓がない奥の奥。窓際の部屋ではなくて、部屋の奥で、少なくとも三方が壁に囲まれていて、こちらから世の中がのぞけるような窓のある部屋ではない。そういう部屋にわざわざ自分の自由意志で入り、しかも戸を閉める。

 

 

 

この「戸を閉める」というのが、"クレイオー"(kleiō)というギリシャ語の単語で書かれていて、"閉める"という意味もありますが、鍵までガチャリとかけるほどしっかりと戸を閉めるという、そのような意味、ニュアンスがあります。

 

 

 

わざわざ奥まった部屋に入っているのに、さらに戸を閉めて、ガチャリと鍵までかける。これは、自分自身の祈りの時間を確保するという、私たちの自由意志の覚悟でもあると思います。

 

 

 

実際に鍵まで閉めるかどうかは、また別の問題で、私たちが場所、空間、時間を、あるいは自分自身の思いも聖別して、神の前に出る。"さあ、祈りましょう"といった、しっかりとした時間を持つということであろうかと思います。

 

 

 

そういった時間の祝福を、「戸を閉めて」と言うことで、私にはとても語られるものがありました。今日の聖書箇所のところでも、「あなたの後ろの戸を閉めて」という言葉が出るのですね。そこをちょっと注目して、聞いていただきたいと思います。

 

 

 

「後ろの戸を閉じなさい」という言葉のゆえに、ここのところとマタイ6章6節のところを重ねて、祈りとして、私はいろいろと語られることがありました。

 

 

 

こう書いてあります。

 

 

 

預言者のともがらの妻のひとりがエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは、【主】を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております。」(1)


エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」(2)


すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。(3)


家に入ったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい。」(4)


そこで、彼女は彼のもとから去り、子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じ、子どもたちが次々に彼女のところに持って来る器に油をついだ。(5)


器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。(6)


彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行って、その油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」(7)

 

(第2列王記4章1節から7節)

 

 

 

アーメン。

 

 

 

ー続くー

 

 

 



 

 

 

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