<メモ①>子どもの遊びは魔法の授業 | シンプルライフ@Tokyo

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こどもとの日々。おうち遊びのキロク。

先日記事にした こちらの本。おそらく後で読み返す余裕はないと思うので、自分用に気になった点をメモしておきます。



子どもの「遊び」は魔法の授業



・ずいぶん前からセラピストたちは親の不安が子どもに伝染することを知っていた。子どもの知能向上プログラムに時間とお金をかければかけるほど、親たちはその「投資」の見返りを期待する。子どもは失敗することを絶えず恐れているため、安心して勉強できない。重視されるのは、子どもが何を経験し、何を必要としているかではなく、テストの結果や詩を暗誦する能力である。


・感情指数が高い性格のもう一つの特徴は、周りの人に対する思いやりだ。これは他人の気持ちを読み取る能力、共感する力、適切なときに適切な理由で適切な怒りを表現できる能力を伴っている。親子で楽しむことが、子どもに最良の人生をスタートさせる礎になるということだ。子どもと遊び、子どもの世界で起こっていることについて話し合うことが、子どもの将来の成功を保証する心や情緒を育むために、親にできる最良のことだということである。


・私たちは子どものためにスケジュールを立て、習い事をさせることで、自分自身でゲームを生み出す楽しみを子どもから奪っている。子どもが自分自身の人生を楽しむために必要な「できるという感覚」や独立心も奪っている。喜び、ばかばかしさ、遊びといった概念は、置き去りにされている。


・この経験、クラス、お稽古、活動は自由な遊びを減らすに値するものだろうか?わざわざ車で送り迎えするに値するものだろうか?お金を払うに値するものだろうか?少なくともたまに、「よく考える」ことは「抵抗する」ことにつながるだろう。


・早期学習を急がせることに対する有力な反論は、神経学的な「混みあい」がもたらしうる問題からきている。「混みあい」とは、情報が脳内でシナプスの接続を奪い合うときのことを指す。野心満々の教育的な早期学習のプログラムは「混みあい」効果をもたらす可能性があることを考慮しなければならない。その結果、時期尚早に脳のサイズや細胞を減少させ、創造性の発達を妨害する可能性があるのだ。


・子どもの目で見たときの日用品の魅力を過小評価しないでほしい。子どもたちにとってそれは全然ありふれたものではない。ただで、面白くて、教育的なことをしているという足かせもない経験がすべてより良い脳を作ることに手を貸すのだ。


・人はみな意味のあることを学ぶとき、より効果的に学ぶ。5歳児はフラッシュカードで勉強しているときよりも、レモネードのスタンドで1ドル稼がなければいけないときのほうが、お金の力について多くを学ぶ。子供がサイコロを転がして自分のコマを進めるとき、一対一対応を使っている。私たちの先生または親としての仕事は、身の回りにある好機を逃さず、子どもに生活環境の中で学ばせるということである。


・数学の能力は経験と遊びによって花開く。私たちの仕事は、日々、教えられる瞬間を発見することだけである。