<メモ②>子どもの遊びは魔法の授業 | シンプルライフ@Tokyo

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こどもとの日々。おうち遊びのキロク。

この記事 のつづきです。待っていてくださった方がいらっしゃったので。遅くなってしまいごめんなさい。



・大人が遊びに加わると、子どもの遊びのレベルが上がるいう事実だ。子どものする遊びの種類も増えることが証明されている。「加わること」はコントロールすることとは異なる。コントロールとは子どもを親の意図にしたがわせることで、親が子どものリードにしたがう場合ほど、知的な発達に導かない。


・子どもに多くの質問をする親、ずっと見ているだけの親、遊びに加わるのではなく、遊びを指示しようとする親、そのような親をもった子どもは面白いことに象徴的な遊びをすることが少なく、単に探って遊ぶ傾向がある。子どもが主導権を握ることを許されると、結果として遊びがより発達したものとなる。


・遊びはそれ自体を目的とするべきで、他の目的に仕えてはならない。遊びは何の効用もない非功利主義者なのだ。


・子どもは自分自身で決めたことをしているとき、達成感を覚える~子どもたちは自由に遊ぶ機会に恵まれたとき、創造性や問題解決能力を発達させるのだ。


・これからの世の中にもっとも大きな貢献をする真に創造的な人々は、すでに決まっている問題の答えを見出すだけにとどまらない。新しい疑問を生み出し、新しい答えを引き出すのだ。どうやってそれをするかと言うと、遊びを通してである。遊びは、融通の利く柔軟な知的能力を育てあげる。遊びは問題解決能力が発揮される舞台なのだ。


・遊びは子どもの数学的思考の発達に不可欠である。他の形態の知識と違い、数学的知識は物と物の関係を扱うものなので、大人の説明を聞くことで学ぶことはできない。


・隙間のないスケジュールで動かされることに慣れている子どもたちは、自分自身を楽しませるのに必要な能力を失ってしまっているのだ。自分で楽しむことは健全なことである。子どもたちは自分自身を刺激する力を育む必要がある。それも遊びの一部なのだ。


・ごっこ遊びは人間を人間たらしめるものであり、言葉による象徴的思考は言うまでもなく、数学、物理学、文学、経済学、芸術などにおける象徴的思考の基礎として働く~ごっこ遊びは子どもが象徴を操作できるようになるために必要な訓練なのである。


・ごっこ遊びでこうした出来事の構成を組み立てるには、記憶と、複数の行動を一種の文化的なストーリーに仕立て上げる能力が求められる。そうした作業そのものが、社会性の発達と知的発達の交わる重要な舞台となるのだ。


・見知らぬ子どもたちと遊ぶときより、顔見知りの子どもたちと遊ぶときの方が、ずっと洗練されている。実際、公園より保育園での方が、高度な遊びを目にすることができる。子供同士お互いによく知っているからだ。



子どもの「遊び」は魔法の授業