ハルのブログ

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 前回の続きです。


 40年前くらいになります。私は大学生活を「北海道小樽市銭函」にあった(現在は、ありません)大学でスタートする事になりました。

 行くまでは、「期待を胸に…」でしたが、生活を始めてみると、余りに私が「無知」だったのと、正直、「不便さ・田舎さ?」に、恥ずかしながら、ひと月足らずでホームシックになっておりました(苦笑)。


 そこでは始め「寮生活」スタートでした。それまで自分は、料理などはした事もなく、せいぜい洗濯くらいでした。なので、心配してくれた両親が「寮」を見付けてくれたのですが…。私、「寮生活」あいませんでした。なんか四六時中、誰かに見られてるって言うか、監視されているって言うか、朝起きて直ぐから大学の先輩や同級生と一緒。朝飯一緒。大学で一緒。帰って来て夕飯も一緒。お風呂の時間や夕飯の時間、門限もあって…。部屋は一人部屋だったけど、ドアに鍵をかけてはダメで、お風呂も二人で入浴。トイレも共同。電話は玄関にピンク電話が一台(当時は携帯とか、まだ普及して無かった)。本当に「一人のプライバシーの時間」が無かった。寮の近くにコンビニなど無く、駅(函館本線「銭函」)の近くに唯一、喫茶店が一軒あるだけだった。大型スーパーなんて無い、寮から駅までは、細い傾斜した砂利道を下って20分弱。汽車(北海道では「電車」とは「路面電車」か「地下鉄」の事。JRを走るのは「汽車(ディーゼル機関車)」なのです。)は30分に一本程度。メイン道路は「国道5号線」。かと言って、メイン道路だからといってお店が沢山ある訳では無い。「札幌〜小樽」行のJRバスが通っていたが、こちらの様に本数は無く、雪の時には「2時間遅れ」なんて事も。本当に「車」が無いと当時は本当に不便な場所だと感じました(今は分かりませんm(_ _)m)。かと言って学生の身分。中には「トヨタMR 2」の新車なんか乗っている人物もいましたが、そんなのはまれ。ただ地元民は中古車や親の車で通学する人達も結構いましたが、自分は「内地」の人間(そうそう、北海道以外の出身者を北海道出身の人達は「内地の人」と言います。現在も言うのでは?)。仕送りしてもらっている分際。車なんて持てませんでした。だから行動範囲も狭くなる。


 自分は「埼玉の田舎町」の出身。電車は「単線」で、けして本数は多くは無かったけど、ここまでは不便は感じなかったです。自宅近くには「コンビニ」も「スーパー」とかも有りました。駅の周りには、それなりにお店も有りました。それに車は無くとも「自転車」があれば、それなりに行動もできました(そう言えば、北海道にいた時、「銭函」で自転車乗っている人ほとんど見なかった気がします。他の場所でも「バイク」や「車」は多かったけれど、「自転車」そう言えば余り見た記憶が無いです。やっぱり広いからかなぁー。とまぁ、余りにギャップを感じる事が多く、親しい人間も気のおける友人も無く、知り合いもいない。気が休まる場所が無くて、地元に、実家に、帰りたくて仕方がありませんでした。


 そんな矢先の「ゴールデンウィーク」。本当は直ぐにでも帰りたかったのですが、周りの反対を押し切って北海道に来ただけに、正直、かっこ悪くて帰れませんでした😢 周りは、地元に帰る人、友人と遊びに行く人といろいろで。私は、寮にいたくなくて、当時つるんでいた人物に「○○、北海道出身だよね。どこか案内してくれない?」と言うと。「いいよ。実は自分「函館」行って見たかったから一緒に行く?(その人物は「網走に近い場所(どこか忘れましたm(_ _)m)」の出身者でした)」と言われ、「行く!行く!」と。

 「ゴールデンウィーク」が始まる前日の会話(苦笑)。

 続きますm(_ _)m