猪年の長女に、
『何年』と聞くと、
『うさぎぃ』と答える。。笑
(私も小さい頃、そう答えていたらしい)
『えぇ猪年の顔してるよぉ』
と言うと。。
『えへっ』と引きつり笑いをし、
両手を頭の上に乗せて、おいでおいでの様にし、
『ぴょんぴょん』と言う。。笑
私は、
うさぎ年ってそんなイメージなんだぁ
ぷぷっ。。
と思いながら下を向き、
次の瞬間、
黙って長女の顔を見ると。。
慌てて、
『えへっぴょんぴょん』
しばらく続けると、
だんだん疲れてきたのか、
両手を頭の上に乗せ、
おいでおいでの様にしながら、
『えへんえへん』
あれっちょっと変わってる。。
と言うか、
省略されてる
笑笑笑
昨日で震災から一年だねぇ。。
あの日は、
ばぁばと子供達と一緒に、海の見える公園にいたら、
突然、震度5強の揺れがあったんだ
『凄い揺れてる』
とか、周りの人達も言っていたけれど、
大体の人がその場から動かないで、
携帯を見ながら、
『学校からメール来ないね(昔でいう連絡網)
携帯繋がらないの』
なんて言っていた
公園の前は海なのに、誰も避難しなかったし、
公園の管理人さん達も、
『東北の方は大変だ』位しか言ってなかった
停電になって、信号が動かなくなって、
近くの建物から沢山の人が出てきて、
警察官が来て、
やっと、事の重大さに気付いた。。
内陸側から歩いて、役所に行ったら、
テレビで津波の映像が流れていた
『これは大変だ。。』
その後、
じぃじとパパから電話があって、お互いの無事を確認
パパは『何度も電話したけど、繋がらなかった』
と言っていたけど、
私は、子供達を連れて役所に向かい、
着いたらすぐに授乳室を借り、
なんてしてたから、
パパに電話をしたんだかしてないんだか。。
その辺の記憶が。。
まぁ、会社にいるから大丈夫
と思っていたっていうのもある。。笑
それまでは、
災害の時の事なんて、ほとんど話し合ってなかった。。
あの地震の後、パパと話し合って、
私は、子供達を連れて自宅か小学校のどちらかで待機をし、
パパは、タイミングを見計らって家族のもとへ向かう、
と決めた
家族と話し合っておく事、
水や食料や生活用品などを備えておく事で、
少しは違うと信じたい