ナザレのイエス | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

シルバーバーチは、“イエスは私たち人類の手本”だと言います。

イエスは自然法則に反するようなことは一度もしていません。そもそもイエスが地上界へ降りてきたのは、大霊の摂理を実行するためでした。イエスのすべての行為、すべての教えは、大霊の摂理の一部でした。イエス自身こう述べているではありませんか―『こうしたことのすべては、あなた方にもできるし、あなた方はもっと大きなこともできるようになる』と。
 イエスを大霊の子供たちが近づけない天界のはるか高い位置に持ち上げるなら、せっかく彼が地上へ降誕した使命は台なしになってしまいます。なぜならイエスの地上人生の究極の目的は、“地上の人間も内在する大霊を人生の中で顕現させるなら、これほどのことが可能なのだ”ということを証明するところにあったからです

『シルバーバーチの教え(上)』P.144/LB2~P.145/L7

今、イエスは天界で神の右に座しているのではありません。
今も私たちのことを思い、一人ひとりに救いの手を差し伸べています。
すべての人間に救いの道を示そうとしているのです。


「地上人がナザレのイエスを本当に見習うようになったとき、新たな人類の歴史が始まることになります。現在は、まだそこまでには至っておりません。私にはその兆しが見えないのです。“イエスの僕”と公言しているにもかかわらず、実際にはイエスを裏切るような生活を送っている人たちのことを、私の前で“クリスチャン”と呼ばないでください。イエス自身、『私に向かって主よ、主よ、と呼びかける者のすべてが天国に召されるわけではない。天にまします父の意志を実践した者だけが召されるのである』と言っているではありませんか」
『シルバーバーチの教え(上)』P.136/L3~L9


救いの道とは、大霊(神)の摂理に適った生き方以外にありません。
人間の手本として目指す姿を示すために、イエスは地上に降臨しました。
決して、人間の罪を背負い磔刑となり人間を救うために、地上に人間として誕生したのではありません。
十字架の上での死で、イエスの仕事が終わったのではありません。
私たちに生きる真の喜びを手にしてほしいと願い、今も私たちのために働いてくださっています。
イエスは、自らが崇拝の対象となることを望んではいません。
私たち人類が目指す理想の人間の姿なのです。


スピリチュアリズムによって初めて明らかにされた“真実のイエス像”――スピリチュアリズムが教えるイエスの真相ー1(ニューズレター第44号)スピリチュアリズム普及会

スピリチュアリズムによって初めて明らかにされた“真実のイエス像”――スピリチュアリズムが教えるイエスの真相ー2(ニューズレター第45号)スピリチュアリズム普及会