死は消滅ではなく新たな誕生 | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

「そもそも死というものは、少しも怖いものではありません。死は大いなる解放者です。
死は自由をもたらしてくれます。
みなさんは、赤ちゃんが生まれると喜びます。
が、私たちの世界では、これから地上へ誕生していく人を泣いて見送る人が大勢いるのです。
同じように地上ではだれかが死ぬと泣いて悲しみますが、こちらではその霊を喜んで迎えているのです。
なぜならば、死の訪れは、地上生活で果たすべき目的を果たし終えて、次の霊界が提供してくれる莫大な豊かさと美しさを味わう用意が、その霊にそなわったことを意味するからです」

『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A』P.59/L1~L6

私たちの地上人生には二つの目的があります。
一つは摂理違反(カルマ)の清算です。蒔いた種を刈取るためです。
二つ目が足りない霊的成長を補うためです。
いずれも苦難であったり困難な体験です。
だから、霊界に比べると陰鬱で暗い地上での辛い体験を思い、地上へ誕生する人を霊界では泣いて見送るのです。

蒔いた種の刈り取りがどのような体験なのかは人それぞれです。
また、足りないものも各自それぞれ違います。
ともに生まれる前にあらかじめ自分で決心して選んだ体験です。
その体験を無事乗り越え目的を果たし地上人生を終えると、先に他界した肉親や知人や懐かしい人たちが暖かく迎えてくれる霊界に帰ります。
二度と会えないと思っていた人たちと感激の再会をします。

「霊にかかわるものは決して失われません。死は消滅ではありません。
霊が別の世界へ解き放たれるための手段にすぎません。
誕生が地上生活へ入るための手段であれば、死は地上生活から出るための手段ということができます」

『霊的新時代の到来』P255/LB3~LB1