霊的なことがわからない | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

「わたしたちは物的外皮の下に埋もれている永遠の実在を見出させてあげようと努力しているのです。それを、できることなら霊的な方法で行いたいのです。
すなわち強烈なインスピレーションに触れさせるとか魂の琴線に触れさせるという形の方が望ましいのです。また、そう努力してみました。が、その方法では、反応をみせる人間は情けないほど少ないのです。
 それに引きかえ、テーブルを動かすとか叩音を出すとか、メガホンを部屋中を飛び回らせるとかの現象をお見せすると、皆さんは“すごい!”とおっしゃいます。
その時わたしたちは内心“何をくだらないことを!”と思っているのです。
音を出してみせることの方が魂を感動させることより大切なのでしょうか」

『霊性進化の道しるべ』P.32/7~LB1

なぜ、シルバーバーチの望む"魂の感動"を私たちはなかなか得ることができないのでしょうか。

「それは、あなた方の世界が物質的なことにばかり浸り切って、物的感覚から抜け切れないからに過ぎません。
そこから抜け切ることができたら、霊的世界の醍醐味をほしいままにできるのです。
わたしたちが悪いのではありません。わたしたちとしては皆さんの内部に宿る最高のものに訴えたいと努力しているのです。
しかし、それが反応を見せてくれることは滅多にありません。
子等の魂に内在する大霊の神性が発揮されることが一日のうち何度あるでしょうか。
洗練された霊的資質がどれほど発揮されているでしょうか。愛他主義と理想主義の精神がどれほど発揮されているでしょうか。
それよりも利己主義の方が大手を振り物質中心の物の考え方が好き勝手に振る舞ってはいないでしょうか」

『霊性進化の道しるべ』P.31/LB4~P.32/5

地上的な幸福、財産、名声名誉、苦労のない人生などが望みでいる限り、物的感覚から抜け切ることはできません。
そういったものが自分を幸せにはしてくれないとわかった時、ようやく霊的なものへ関心がいきます。


「魂が目覚めるまでは往々にして悲しみや病気がお伴をすることになります。
絶望のどん底に落ちて初めて目覚めることもあります。
物の世界には真の慰めとなるもの、希望を与えてくれるもの、魂を鼓舞してくれるものが無いことを悟った時に魂が目を覚まします。
長いあいだ眠っていた霊性が目を覚ますのです」

『シルバーバーチの霊訓』(2)P.47/1~4