宗教って… | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

初対面の人であれ、親しい人であれ
宗教の話はダブーとされています。
信仰心が篤ければ篤いほど衝突や対立の原因となるからです。

宗教とは本来人間を幸せに導くもののはずなのに、
なぜ衝突や対立を生むのか…
誰もがわかる答えですが、信じる神が違う、
信じる教えが違うからです。

地上の宗教は、世界中に信者のいる誰もが知る宗教から
特定の地域や民族だけの宗教など数多くあります。
宗教の数だけ、神がいて、教義あり、聖なる書物があり、
聖なる場所が存在します。

しかし、霊界では宗教は一つです。

「宗教というと何かお決まりの儀式のことを思い浮かべ
〝聖典〟と呼ばれるものを読み上げることと考え、
讃美歌を歌い、特別な衣装を着ることだと考える
ようになりました。
何やら難しい言説を有難く信奉し、理性的に考えれば
絶対におかしいと思いつつもなおそれにしがみつきます。
私たちはいかなる神学、いかなる教義、
いかなる信仰告白文にも関心はありません。
私たちが関心を持つのは人間の霊性であり、
私たちの説くこともすべて、絶対的に従わなければ
ならないところの霊的自然法則に向けられています。
人間のこしらえたものを崇めるわけにはいきません。
 宇宙の大霊によって作られたもののみを実在と信じます。
そこに宗教の捉え方の違いの核心があります。
 人のために役立つ行為、
霊性に動かされた行為、
無私と利他的行為、
自分より恵まれない人へ手を差しのべること、
弱き者へ力を貸してあげること、
多くの重荷に喘ぐ人の荷を一つでも持ってあげること
───これが私たちの説く宗教です。

(中略) 
バイブル(キリスト教)を読んでも、
タムルード(ユダヤ教)を読んでも、
コーラン(イスラム教)を読んでも、
バガバット・ギーター(ヒンズー教)を読んでも、
その他いかなる聖なる書と呼ばれるものを目が疲れるほど読んでも、
それだけで霊性が成長すわけではありません。
〝宗教的〟とみなされている行事をすべて行っても、
それによって一層価値ある人生へ魂を鼓舞しなければ、
言いかえれば内部の霊性を少しでも多く顕現させることにならなければ、
私たちが考えている意味での宗教的人間になるわけではありません


『シルバーバーチの霊訓(3)』P.70/7~P.71/LB5

シルバーバーチの言葉から、
“宗教”って、“信仰心”って、何だと思いますか。