本当の幸せ | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

本当の幸せって何でしょうか。

そもそも、そんなことを考える人は金品や財産などの物質的なものや地位や名誉や権力などに人を幸せにする力がないことを知っている人です。
しかしそのことに気付く人は少数です。

さらに、本当の幸せが「霊的真理を受け入れ、摂理に沿った生き方をし霊的成長することにある」ということを知っている人は限られています。


本当の幸せの答えを見つけられないのは、自分の魂が何を欲しているのかわからないからです。
自分のことは自分が一番知っているようで、実はわかっていないのです。

なぜ、自分のことを知らないのか。
自分の感情や考えや欲望などは顕在意識です。それとは別に潜在意識があります。
潜在意識とは本人が認識できない意識のことです。
その内容については、現在の科学や文明では解明されることはありません。
形のないものだから物質優先の今は本質を見つけることが難しいのです。
しかし、この潜在意識の中に霊の意識は存在するです。
自分だと認識している自分は顕在意識が認識している部分だけであって、その奥の潜在意識は閉ざされたままです。霊は閉じ込められています。
地上に肉体を持って生きている限り、私たちは脳を通してしか認識できないため潜在意識(霊の意識)を完全に知ることは不可能です。


なぜ、霊的真理の理解が必要なのか。
霊的真理には、私たちの存在の意義と生きる目的そして最も大切な自分とは何かの答えがあるからです。
霊界があり、私たちはこの地上いわゆる物質世界にのみ存在しているわけではありません。
目に見える肉体は、自分を表現し地上で生きるための入れ物にすぎないのです。
地上で起こるさまざまな事や目先の損得に右往左往して一生を終えることは大変無駄な人生です。
確かにさまざまな体験をすることこそが地上に生きる目的ですが、その体験を通し何を得たのかが問題なのです。

死とは、簡単に言えば肉体と霊との分離です。
完全に霊の離れた肉体は朽ちて滅んでいきます。
逆に肉体から離れた霊は窮屈な入れ物から抜け出て自由を得ます。

その時、あなたは地上時代に得た財宝のうち何を持っていられると思いますか?
肉体をなくした時点で、当然物質的なものは無意味です。
では権力や地位は?
権力や地位は地上で生きる人には影響力がありますが、地上の上下関係など通用しない霊界では何の効力もありません。
霊界には権力者を恐れる者などいません。地上時代のつもりでいると本当の「裸の王様」です。

では霊となっても持っていられるものは何か。
地上での言動のすべてと知識です。
地上にいる間にどんなことを思い、どんな言葉を発し、どんな行いをしましたか。
これらは原因となり結果を生みます。
善はみずから報酬をもたらし、悪と罪はみずから罰と断罪を受けると私は説くのです。向上するのも堕落するのも本人の行為一つに掛かっているのです。人生のあらゆる側面を神の摂理が支配しており、それをごまかすことも、それから逃れることもできません。」(シルバーバーチの霊訓7 P49)

また、一度得た知識は失うことはありません。
潜在意識(霊の意識)はそのことを知っています。

私たちすべての人間が本当にほしいものとは、霊的成長なのです。
潜在意識(霊の意識)ではそれを望んでいます。
それに気付くか気付かないか…

《我欲を捨て人に奉仕する》
理想を語っているようですが、こうなることが幸せなのです。
これができるようになった時に、心に安らぎと幸せが満ちるのです。

自分の永遠の本性にとって必須のものに目を向けることです。それは人生について正しい視野と焦点をもつことになり、自分が元来不死の魂であり、それが一時の存在である土塊(つちくれ)に宿って自我を表現しているにすぎないこと、心がけ一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟ることになるでしょう。」(シルバーバーチの霊訓1 P116)


死後も霊として永遠に生きる私たちにとって一番必要なものは、霊的真理です。
地上中心の物質視野ではなく、霊界から見た霊的視野をもつことが大切なのです。
限られた数十年の地上人生ではなく、その先の霊界での永遠の成長に目を向けることが幸せにつながるのです。

私たちは人のために役立つことをする時、自分の中の神性を発揮していることになります。
それは、神へ一歩近づくということなのです。