死後の行き先 | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

ある宗教では、生きている間に自分の所業の懺悔をすれば神様は許して下さると言います。
違う宗教では、人間は死後仏さまになると言います。
他にも、ある特定の祈りの言葉やお経などを唱えるだけで天国へ行けるとも…


この世で、他人に思いやりを持たず自分の利益や感情を優先する利己的な生き方をしてきた人間と、常に人のために役立とうと自分を犠牲にしてきた人間が死後同じような境遇にいられるのでしょうか。

死後があると認めている人でも、死後についてはただ漠然と天国や極楽浄土と言われる世界と地獄と言われる世界の二つの世界を思い浮かべる程度ではないでしょうか。
地獄へ行くのは、殺人や強盗や暴力など余程の悪事をはたらいた者で、それ以外の人間は多少の狡さや怠け心は誰もが持っているので同じ世界へ行く…そう思っていませんか。

死後の私たちは、「地上にいた時と少しも変っていません。肉体を捨てた、ただそれだけです。
性格も考え方も行動も何も変わっていません。
利己的だった人は、相変わらず利己的です。どん欲だった人は、変わらずどん欲です。無知だった人は相変わらず無知のままです。悩みを抱いていた人は、相変わらず悩んでおります。」(地上人類への最高の福音 P189)

私たちは地上で見返りや自己満足や自己顕示欲のない奉仕をしてきた分の霊的成長をします。
死後の世界では、心の在りようがそのまま表れます。
人から良い人と思われたい、好かれたいという思いからの奉仕や優しさも結局は利己的な動機です。
地上のように取繕ったり、うわべだけの優しさや見せかけは通用しません。
その人の霊性がそのまま皆に知れわたります。
そして死後に行く世界は、「あなたが地上で身につけた霊的成長に似合った界層であり、それより高いところへは行けません。行きたくても行けません。」(シルバーバーチの霊訓10 P83)

本当に無私の奉仕や自己犠牲をしてきた人と、利己的動機の見せかけの優しさで生きてきた人は同じ界層へは行けません。霊性の違いです。

無数に存在する界層のどこに落ち着くかは、今の地上生活の中身で決まります。
霊的知識を得て本当の奉仕を理解し実践する。


あなたの優しさの中に…

見返り、自己満足、自己顕示欲はありませんか