取り返しのつかないこと | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

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苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

後悔は誰にでもあります。
些細な内容であれば苦い経験で済んでしまいます。

しかし、後悔の中でも自分や誰かの未来を不幸にし今まで通りの生活を送れない原因を作ってしまった時は“取り返しのつかないこと”をしたと思います。

取り返しのつかないこととは、元の状態に戻せない不可能な事態であり、どうすることもできない状態のことです。
例えば地上生活において肉体の一部や運動機能や金銭的なものを失ったり、地位や名誉信頼を失った場合などです。
物質的視点で見れば地上生活を楽しむ多くの機会を失くし、人生を台無しにしたと思うでしょう。
一般的にそれを不幸といいます。

“魔がさした”“一瞬の不注意”
何であれ、過去を何度思い返しても戻ってやり直すことはできません。
目の前の現実は変えられません。
その現実は自分が背負うものなのです。

しかし、霊的視点からでは違う見方になります。
シルバーバーチは取り返しのつかない過ちはないと言っています。
過ちも失敗もあなたが不完全であることから生じます。しかし、転んでも起き上がることができます。取り返しのつかない過ちというものはありません。新しい希望と新しい可能性を秘めた新しい一日、新しい夜明けが必ず訪れます。

物質的に失くしたものを悔やむから、いつまでも過去の過ちや失敗に縛られ苦しむのです。
物質的なものは、この地上世界だけのものです。
たった数十年のことです。
まず現実を受け入れることです。
大切なことは、霊界へ帰るまでの時間をどう過ごしたかです。
自分の思うこと、言うこと、行動が未来の自分を作っていきます。
後悔の念を違うエネルギーに変えることができます。
もし、償いが必要なら償うためのエネルギーに変える努力を。

物質的に不幸に見えるからといって、自分の魂まで不幸にしないこと。
魂を縛ることが一番不幸です。