前世療法 | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

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苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

前世療法って知っていますか?

前世療法は退行睡眠ともいい、催眠療法から発生したものです。
催眠療法(退行睡眠)とは、精神障害や心身症の治療、心理的な問題などに対し催眠を用いて行う精神治療の一種です。
退行睡眠はもともとは、自分の幼少期の忘れていた記憶を掘り起こし問題の原因を追体験をすることによって治療するというものでした。
しかし、催眠をかけているうちに幼少期をさらにさかのぼり違う時代のことを語り始める患者が現れるようになり、退行睡眠を行う人たちの間で前世があるということが肯定されるようになりました。

かつての私は、漠然とした寂寥感や孤独感を持ち、集団の中にいるといつも違和感と人との距離感を感じていました。それは、“私がいてもいなくても世界は変わらない”“この世に私が存在する意味がわからない”といった悲観的な思考になり理由のない苦しみになっていました。
ある時前世療法という本を見つけ、その中で「現在の悩みや問題の原因は前世にある」という説を読み、“もし今の苦しみの理由が前世にありそれを自分が納得できれば、克服できるのではないか”と思いました。
前世療法を行うのに医師免許や国家資格は必要はありませんから玉石混交の情報の中、なるべく信頼のおけるところを探しました。
そうして、心療内科の医師が前世療法を行っている病院を見つけ半年待って受診することができました。受診までの間もいろいろな前世療法の本を読みました。体験談を読んでいると前世はただの平凡な一般人だけれどさまざまな体験がありました。
私の苦しみの原因も前世にありそれを見つければ解決できると期待しました。

結果は、何も得るものはありませんでした。

期待が大きすぎたのでしょか。
医師から事前説明で「疑り深い人は前世を見ずらい」と聞かされていました。
前世があると信じていたけれど、自分には見えないと無意識に思っていたのでしょうか。

その時は、自分の前世を見ることができなかった原因は自分にあるのだと思っていました。
前世療法は“私を救ってくれる”という望みをまだ持っていました。

しかし、1年後の次の受診までの間に、私の考えを変えるものに出会いました。

人に前世療法の話をする時、反応は人さまざまです。
好奇心旺盛で興味を持って聞いてくれる人がいれば、他力本願な考えで胡散臭そうなものにはまっていると批判する人。
やはり自分が信じているものを否定されたくはありません。
前世療法を否定している意見を聞いてそれに反論できるだけの知識を得たいと思うようになりました。
証明のしがたい未知なものに対し、人はどの境界であり得ると判断するのか。
個人の今までに得た総合的な知識と理性によって判断に違いがあります。
否定意見もピンからキリまでありました。当然、肯定意見も同じです。
そんな中、明確に問題点をあげ理論的な意見が書かれてあるものを見つけました。
スピリチュアリズム普及会(旧心の道場)のHPの中のニューズレター5号と6号でした。

それが、私のシルバーバーチとの出会いでした。

前世療法についてシルバーバーチはこう言っています。
「いわゆる遡及(催眠術)によって前世とコンタクトできるという事実は否定しません。しかし、必ずしもそうでないところに問題があるのです。それというのも、人間の精神には莫大な可能性が秘められており、地上の人間には到底その深奥まで掘り下げることはできないからです。創造力もありますし、霊によって憑依される可能性もあります。こうした要素をすべて考慮に入れなくてはなりません。催眠中に幽体離脱が起きて、その間の一連の記憶が印象づけられることもあります。こうした場合は過去世を思い出していることにはなりません。」(シルバーバーチの霊訓 十巻 P130)

シルバーバーチは全部を否定していませんが、見たという内容のすべてが信用できるわけではないと言っています。
また治療として成功した場合のことも、
「過去世において大きな影響を及ぼした苦難または悲劇を現世に呼び戻し、それを意識することでカルマが消滅することがあります。これは良い結果をもたらす例です。が、それがただの取りとめもない想像にすぎないことが多いのです。」

前世が見えたからといって、それが本物かどうか怪しいということです。
暗示であったり、普段は記憶の奥に埋もれている自分が読んだ本の内容や映画のシーンを引っ張り出して自分の前世の体験にしていたり、実際の体験ではなく夢や幽体離脱時の記憶、または憑依霊自身の体験を見せられていたのかもわかりません。
いずれにしても、本物かを見極める術を私たちは持っていないのです。

肯定的意見を擁護するどころか、今までの知識は一方的な偏った情報から得ていただけだったと気付かされました。

前世療法を肯定する人たちは、シルバーバーチのいう問題点を見過ごしています。
そもそも、前世があることが前提ということは、当然死後の世界がありそこを通過して生まれ変わるはずです。なのに死後についてほとんど何も語られていません。
また、憑依霊の影響や人間の記憶や創造力から創作された物語かもしれない危険性を排除し、目の前の現象を限られた自分の知識だけで判断しています。
別の角度からの検証が十分にされずにいます。何が足りないのでしょう。
それは<霊的知識>です。

とは言っても、これらの問題点や危険性を耳にしても聞き流してしまう人はいます。
それは、私もそうでしたが目の前のものに飛びつき深く追求しないからです。
「自分が納得していたらいいじゃないか」と考えているのかもしれません。
最愛の家族を失くし生きる気力を同時になくした人が、生まれ変わりを信じ前世があるのなら来世もあると思い再び巡り会える希望を持ち前向きに生きられるのなら、役に立っているのかもしれません。
しかし、夢を見ることよりも真実を知ることの方が重要ではないでしょうか。

たしかに前世療法はロマンがあり魅力的です。自分の知らない自分に会うという一種の冒険にも感じられます。
でも、それは確実に自分の前世と言えるならの話です。
自分についた憑依霊の人生かもしれないものを自分の前世と勘違いしてもいいのですか。


もし、これを読んで少しでも“そうかもしれない”と思った人は自分の理性が納得できるまで追求してください。
神様からいただいた良心と理性を使って確かめてください。

「盲目でいるよりは見える方がいいはずです。聞こえないよりは聞こえる方がいいはずです。居眠りをしているよりは目覚めていた方がいいはずです。」
(古代霊は語る P43)