このような現実との妥協は、物事を固定し変化しないものとみなすものであり、我々が持つアイデンティティ(自己同一性)の理解方法から必然的に出てきたものである。すべての精神生活は、例外なく、この理解方法を使っている。物理学者は、「物体」という概念を使って、この理解方法に順応する。
物体という言葉を物理学で受け入れているが、現実の中に物体というものは見当たらない。それでも、物理学者は、研究において物体を想定した方が便利であるかぎり、すなわち前もって計測し判定することが重要であるかぎりにおいて、このような理解方法を使うことが正当化される。
科学の再現実(仮想現実)の立場では、感覚器官に現れてくるものとしての「運動」と「エネルギー」が論理的相関物として一つにまとめられている。運動そのもののほかに、エネルギーに相当するものは物理学者の再現実には存在しない。ここでは運動はエネルギーそのものである。