科学は、感覚器官に感受できるとき、比較の対象があるときにだけ有効である。
比較は、実際のエネルギーを無視できるくらい物事が整理されている場合にかぎり可能である。なぜなら、私の意識は即座に私に理解されるように、あらゆるエネルギーはユニークで、厳密に個別的であり、比較が可能なものではないからだ。
to treat it as such. このように実際のエネルギーを度外視することは、反応の世界でのみ可能である。ここでは、どんなプロセスでも固定し完結したもの、一つの産出とみなすことが可能であり、正当であり、したがってそのように取り扱うことができる。商人の秤や桝を厳密に測定すると、今日と明日では穀物の量が異なってくるということは、すべての物理学者が知っている。しかし、我々は、現実と行為とがあたかも同じであるかのように妥協して解決している。
実務の目的なら、これでも十分だし許される。この場合、世界理論を目指しているわけではなく、重さをはかり、特定の必要性を満足することが狙いである。