これら二つの前提条件、すなわちモノを「物体」とみなし、その運動をエネルギーそのものとみなすと、世界イベントの振る舞いがすべて感覚器官で認知される。あらゆる結果は、時間と空間をさかのぼることができる媒介的な何かとなる。
感覚器官に認知できる動きがエネルギーそのものであることは、物理学で受け入れられている「物体」という言葉が現実に即していると言うのと同程度に、ありえないことである。
感知可能な運動はエネルギーではない。エネルギーがあることの証拠でしかない。
二つの電磁石を相対するような位置におき、円周運動をさせる場合、円周運動がエネルギーそのものであるわけではない。これは、エネルギーがそこにあり、運動によってその存在を自分で証明しているだけである。