ランキングが流行し始めたのもボブル時代からだと思う。テレビをつければラーメン屋のランキングをやっていた。おかげでちょくちょく入っていた中華そば屋に行列ができるようになった。その現象が一気に拡大し、いろんな食い物屋で行列ができるようになったのもあの時代。ミシュランの星ならそれなりに理解できるが、あんな順位なんてどうやって決めているのか、さっぱりわからん。
「○金」とか「○ビ」の本が大売れしたのもあの時代。金持ちと貧乏人の生態を面白おかしく書いているのだが、あきらかに「金持ち=円満、余裕」vs「貧乏人=みじめ、せこい」というレッテル張り。まあ、その前のプロレタリアート万歳時代の裏返しかもしれないが、それにしても底の浅い人間観だこと。
学校が偏差値で序列化され、ほぼ固定化されたのもこの時代。「高学歴=幸福」なんて幻想は昔からあったし、人間のエゴには「生き残る」という命題があるからどこにでも競争があるのは当たり前だが、それがこの時代からいっそう強化されたように思える。しかし、学歴と幸福というまったく異なる概念を一緒にすると、とたんに変なことになる。だいたい幸福を求める一手段として学歴があるはずで、他にも幸福になる手段はいっぱいある。私の子供の同級生に、自分の意思で高校に行かなかった男の子が二人いるが、どちらも職人・技術屋として自立しちゃんとした家庭を作っている。逆に、教育ママがよだれを流すような学歴で超一流の勤め口を持つ夫でも、家庭がうまくいかないという実例を私自身いくつも知っている。そのうちの一つ。パリに住んでいた頃、そういうバックグラウンドの夫がパリに赴任してきた。彼には家庭があり、小さな赤ちゃんも生まれていた。ところが、その奥さんは、旦那の知らないところで若い男をツバメにして遊んでいたのである。なぜそんなことを知っているかというと、そのツバメが私の友人(といっても大分年下)だったからだ。少しお金ももらっていたようだ。その男は「てへへ」と頭をかいていたが、まああきれた男である。それ以上に、奥さんは絶望的だ。こんな家族なんてたまったものではない。おそらく奥さんは玉の輿ねらいで結婚し、夫のことなど好きでもなんでもないのだろう。旦那さんが本当にかわいそう。後になって子供の血液型を知って「アレ?」なんてことにならなければいいが。