バブル時代(4) | ゴトーを待ちながら

ゴトーを待ちながら

尽きかけている命の日々に、こぼれていく言葉のいくつか。

<バブル=ディスコ=六本木>という私のイメージはどこからきたのだろう? よくわからない。しかし、そういうイメージを持つのは自分だけではないと思う。

サラリーマン時代の後半、私は一時期親会社の研究所に派遣されていたことがある。機械翻訳システムの開発プロジェクトに参加するためである。語学屋として、訳語を確定するためのシソーラス(辞書)や訳文を生成するためのルール作りを担当した。その研究所は、私の仕事場とは東京をはさんで反対側の閑静な住宅地にあった。そのため通勤に時間がかかり、夜が遅くなることも多かったので、女房と待ち合わせをして食事をしたりディスコで遊んだりしていた。当時は新婚で子供もいなかったので気楽だった。待ち合わせの場所は、通勤路線の関係で六本木になることが多かった。私はすでに三十路になっており、ディスコに出入りするような年齢ではなかったが、私にしろ女房にしろパリでよくディスコへ行っており、そこではあまり年齢のことは気にしなくていい場所だったので抵抗はなかった。

(閑話休題。パリのオデオン広場からセーヌ河岸に向かって少し歩いた建物の地下に『タブー』という有名なディスコがあった。今でもあるかどうか知らない。私も何度か友人たちと行ったことがある。そこでの一番の思い出は、もう故人になったがあの伝説のモデル山口小夜子さんを見たことだった。山口さんは、白人のモデル仲間二人と一緒だった。モデルだから当然だが白人女性もびっくりするほど美人だったが、山口さんのオーラがすごかった。山口さんはおかっぱで黒い革ジャンを着込んでいた。下がジーンズだったかスカートだったかは覚えていないが、その上半身の姿だけは今でも目に焼き付いている。)

あるとき、友人と談笑していたとき、六本木のディスコの話をしたら、その友人が目を輝かせて食いついてきた。こんどぜひそこに連れていってくれと言うのだ。さらに、その友人から話をきいた別の男(私自身はあったこともない人)から、ディスコに行くときには自分も同伴したいという申し込みがあった。何ですか、これ? 行きたいなら自分で行けばいいと思うのだが、どうもそうではないようだ。テレビだの雑誌だのでよく見る「六本木のディスコ」に行って流行に乗りたいが、友人たちはみな同年配なので気が引ける、ということらしい。何かわかるような、わからないような。