前に、竹内まりやの曲を聴いた時に六本木の風景を思い出したと書いた。これは六本木がバブル時代の象徴的な場所であり、私自身もそれなりに六本木になじみがあったからだ。とは言っても、私は高校を卒業してから東京に来たので、それ以前のことは知らない。書物によれば、戦後に占領軍が陸軍の跡地を接収し、アメリカ人を相手にした喫茶店や料理屋などができ、その雰囲気を愛する若者たちがたむろしたという。さらに夜には、銀座のバーがお開きになった後、客やホステスが食事する高級中華料理店がちらほらあったらしい。
私自身は、学校の関連のパーティが毎年一回開かれていたのだが、その場所がいつも六本木のレストランであったので、当時の六本木の風景はよく覚えている。海外で数年を過ごした後に帰国し、その会合に出たとき、夜の六本木を見てだいぶ変わったなあと実感した。
私の最初の六本木体験は自由劇場という小劇場である。俳優座のように駅のすぐ近くにあるものとばかり思っていた。ところが、駅から西麻布に向かってだいぶ歩かなければならない場所だった。駅のまわりはそれなりに明るかったが、少し離れると真っ暗で、光といえば車のヘッドライトくらいだ。閑散としていておそろしいくらい静かである。「こんなところに劇場なんかあるのか」と不安になったほどだった。(ちなみにここを本拠としていた劇団『自由劇場』は、後に『上海バンスキング』という芝居を大ヒットさせた。)
後年、そんな話を知り合いにしたら、東京出身のその人は「それは、お前が六本木をよく知らないからだよ」と笑われた。彼によれば、六本木でよく遊ぶのは芸能人などの有名人が多く、あまり目立ちたくないので隠れ家的な店を好むのだそうだ。そんな店は、ひっそりした目立たない場所にあったり、看板だけで外から中は見えず何屋かもわからなかったりするという。「そういうところが六本木の面白いところだったんだけどなあ」と彼は感慨深げに付け加えた。