バブル時代(2) | ゴトーを待ちながら

ゴトーを待ちながら

尽きかけている命の日々に、こぼれていく言葉のいくつか。

 

だいたい、あのバブル経済を意識し始めたのはいつだろうか? 私は、海外生活の後、大手メーカーの子会社に入社し、技術文書の翻訳や作成に携わっていた。メーカーは給料が安いのがよく知られているが、特に私は中途入社だったので同僚に比べても低い。妻が外資の日本支社で働き、二馬力でようやく生活している状態であった。

ところが、ある月、基本給がぽんと上がった。それに伴いボーナスもかなりの増額になった。経理の計算間違いではないだろうかと本気で心配する同僚もいた。それから一年もしないうちに、私の周囲で奇妙な変化が次々と起こるようになった。技術文書を扱う部署なので、黙々と文字を追うのが仕事であり、したがって地味で寡黙な人間が多い。ところが、いつも苦虫をかみつぶしたような顔をしているスペイン語担当の先輩が昼休みに新聞の株式欄を熱心に見ているのを発見。友人の中でも株取引が流行し、一緒に飲んでも有望銘柄の話になるととどまるところを知らない。「お前もやってみろよ」と勧められた。「忙しくてたまらん」というのが口癖の同僚がいて、いつも遅くまで残業していたが、その男が一人で会議室にこもり何かを熱心に書いていたことがあった。彼が去った後に私がその会議室に入りミーティングを始めようとしたとき、彼が書き損じて捨てた紙がゴミ箱の横に転がっているのを発見。それを拾い上げると先物取引の申込書であった。

「なんか変な事になってきたなあ」というのが私の感想。とはいっても、そんな風潮を否定的に捉えていたわけではなく、単に面白がっていたというのが本当のところだ。マネーゲームが一般化したのも、日本経済が好調でそれにつれて個人の資産が増えた結果なのだからと肯定的な見方をしていた。その当時から「バブル経済」という言葉が使われはじめ、ちょっと相場が荒れると「はじけた、はじめた」と騒ぐ人たちがいたが、誰も経済が失墜するとは本気で考えていなかったろう。