バブル時代(1) | ゴトーを待ちながら

ゴトーを待ちながら

尽きかけている命の日々に、こぼれていく言葉のいくつか。

先日、帰宅途中に居酒屋に寄った。ふだん、そんな道草はしないのだが、どういうわけか、その日は気がふさいでいた。落ち込み気味の時は、散歩する、図書館へ行って背表紙を眺める、ジムで汗をかく、サウナに入るなど、いろいろ対処法は持っているのだが、その時はどれも面倒だった。

ということで居酒屋に入った。もちろん初めての店である。飲み始めるには早すぎるのか、客は私一人だけだ。ビールとおつまみを前にしてぼーっとしていると、店内に流れている音楽が何も考えていない頭にすーっと入ってきた。女性歌手である。聴いたことがある曲だ。なんとなく懐かしい。しばらくシンガー名とタイトルが浮かんでこなかった。竹内まりやの『プラスティック・ラブ』だと気が付いたのは曲の終わりである。歌詞を聴いている私の頭には、この曲が流行したころの六本木の風景が浮かんでくる。通りを占める大集団、あちこちから上がる歓声、デート待ちの男の足元に散らばる吸い殻、ちらちらするディスコのネオン、喫茶店の窓ガラスからじっと外を眺める一人客、外国の国旗を垂らした料理屋の扉、遠くで鳴り響くバイクの爆音、地下鉄の入口で喧嘩をしているカップル、にやにや笑っている外国人。

「変な時代だったよな」と思う。竹内まりやの曲名ではないが、まさにプラスティック、あえて違う表記をするなら『プラスチック』である。安っぽいのだ。当時、仕事の関係で私はたくさんの人間と付き合ったが、どの顔を思い出しても重厚感がなく、軽くてふわふわしている。自分だけは例外だったと主張するつもりはない。私も他人の目には薄っぺらい人間として映っていただろう。

その安っぽさの源泉が『バブル』と呼ばれた当時の経済状況にあったことは間違いない。