山口瞳さんによると、岡田周三親方は、”頑固が鉢巻をしたような人”だ。
私がその存在を知ったのは、「東京味のグランプリ’85」山本益弘著 だった。
1984年9月に私は、吉本興業大阪本社から、制作部東京出張所に転勤になった。’80年に入社した私は、漫才ブームの中、大阪だけでなく、東京へも盛んに出張していた。だから、東京のテレビ局にも顔なじみは結構いたので、そんなにも戸惑うことはなかった。
赤坂六丁目にあった、ワンルームの事務所、その向かいのマンションの3LDKが借り上げ社宅だった。
そこで同期と後輩と3人で暮らしていた。職住近接にもほどがある状態だった。
一番困ったのは、食事だった。大阪のように、安くておいしい店、値段と内容がつろくしている店が少ない事だった。
そんな中で出会ったのがこの本だった。山本氏は、今でこそ、料理評論家や店舗プロデューサーとして名を馳せているが、早稲田第二文学部の卒論は、桂文楽がテーマだった。私が初めてであったのも、関西テレビ「花王名人劇場」の収録現場だった。後には、ANB「テレビ演芸」の若手コーナーの審査員もされていた。
この本は、東京の食ガイド本で、’80年版から出されていたようだが、私が手にしたのは、’85年版だった。
数少ない休みに、この本を頼りに、出かけたものだ。鰻では野田岩、秋本、丹波屋、尾花。蕎麦は、赤坂砂場、平井の増音などへ行ったと記憶している。だが、寿司だけは、値段や銀座など地理的な敷居の高さもあり、なかなか出かけることが出来なかった。
そんな私が秘かに狙っていたのが、「小笹寿し」だった。本格的な江戸前寿司が、一通り食べて400円。当時の一流店としては、破格の安さだった。ただ、私はそれまで、ちゃんとした東京の寿司屋に入ったことは無かった。
仕事が早く終わったある夜、意を決して、下北沢に向かった。南口を出て徒歩10分。茶沢通り沿いに、白い暖簾を揺らめかして、小笹寿しは佇んでいた。なんとも絵になる姿だった。
店の前を行ったり来たりすること数回、勇気を出して、暖簾の前に進んだ。ええい、ままよ!暖簾を分けて、引き戸を開けた。
「いらっしゃいまし。」よく通る太い声で親方が迎えてくれた。豆絞りのいなせな姿がいまでも印象に残っている。
親方は私が一人であることを確認し、手のひらで席を案内してくれた。そこに座ると、小柄なご婦人が「ようこそ」と高い声でお茶とおしぼりを運んできた。ヱビスの小瓶をお願いして、出るのをまつ。
ネタ札を見ながら、注文を戸惑っていると、親方が「初手に玉子なんて、人を試すようなことをしちゃだめですよ。」とギョロ眼でにやりと笑った。私は一気に緊張がほぐれていくのがわかった。その後、益弘方式と名付けた順で、まず、白身を注文した。ヒラメだったと記憶するが、適度に熟されたものだった。それから、親方に促されるままに、赤身・漬け・小肌・赤貝などと食べ進んだ。穴子を頼み、かんぴょう巻しめた。にぎりを10個と巻物、ビールとお酒二本で、5千円かからなかったことを覚えている。領収書には、お寿もじ代と書かれていた。小柄な奥様が、入り口まで送ってくれた。
なんと気持ちのいい店なんだろう、としみじみ感動しながら、駅に向かった。