1986年当時、小笹寿しには、もう一人職人がいた。カウンターの奥に陣取るのが根津さんだ。見るからに頑固一徹の岡田親方に比べ、ひょろっとした体形で、面長の坊主頭に眼鏡、その奥には柔和な瞳、これが根津さんの容貌だ。ただ、親方がきりっと、豆絞りの手拭いで鉢巻をしていたのに、根津さんの頭は裸。理由を聞くと「あたしゃ頭痛持ちなんで、親方に、鉢巻だけは勘弁してください。」と入門時にお願いしたそうだ。見かけ通りにひょうひょうとした江戸っ子のしゃべり方や物腰は、親方と好対照でだった。
小笹で初めて食べた寿司も多い。今では回転寿司ネタにもなっている北寄貝はじめ、本ミル貝、めじまぐろなどだ。
ある日根津さんが、「野山さん、今日はいいめじが入ってますよ。」とめじのトロを握ってくれた。めじというのは、小さい・幼いという意味で、関西で言う、よこわのことだった。本マグロというのは面白い魚で、幼魚の頃は、赤身はまぐろというより、鰹に近い。ただ、トロの部分はしっかりとマグロの味がするのだ。この時は、関西で言う”ひっさげ”の大きさで、重さは10キロぐらいだったろうと思う。その希少なトロを握ってくれた。しっかり脂を感じながらも、喉の奥ですっと消えていく清涼感があった。美味としか言いようがない寿司だった。
小笹のカウンター奥には、見事な書体で、ネタ札がかかっていた。それは岡田親方の手によるものだった。当時、日吉あたりで、独立していた一番弟子の寺嶋さんが、店をたたんで代沢に帰ってきて、再び独立された時に、親方がネタ札を書いて、プレゼントしたという。この上ない喜びだったと寺嶋さんから後に聞いた。元々岡田親方が働いていた、銀座に出店するので、親方の思いもひとしおだったと思う。頑固一徹に見えて、こういう細やかな心遣いこそが岡田親方の真骨頂だろう。
また、親方は、とり貝を”うちむらさき”と書くようなしゃれっ気も持ち合わせていた。そして正直だった。
ある日、お店の開け口に行った時、鯛がおいしかったので、そう告げると、「これはね、養殖なの。養殖と言っても、いいものなの。だから、今朝絞めて、今がちょうどいい。これが遅くなったら、ふにゃふにゃになっちゃう。天然だったら、(目が飛び出るくらい)しちゃう。」と養殖を使うことを恥じていなかった。
この辺りも、町場の江戸前としての親方の矜持だったと思う。
今は、おまかせが、主流になってしまった江戸前寿司だが、親方は、せっかく寿司屋に来たんだから、好きなものを食べないと、と常々口にしていた。
が、ある夜、空いていたので、渋る親方に「五貫だけおまかせで」と無理を聞いていただいた。初手はなんと貝柱。こんなひねり技をぶつけてくる茶目っ気も岡田親方ならではだったろう。
本当に思い出は尽きない。