※批判的な雑記なので、読まなくていいです

率直に言って、『君たちはどう生きるか』という題名に関しては「宮崎駿監督の自分の言葉と責任で言ってほしかった」という想いです。これに関しては、後述します。
個人的な感想ですが、「年老いた芸術家の片田舎での美術展(既存の小説名)」に行ったような雰囲気でした。皆で(なんだろう?)と二時間ほど観賞したような気分です。ブースごとに面白い表現や印象に残る演出は沢山あるものの、じゃあ人生が変わるほどインパクトのあるものがあるか、というと人それぞれだと思います。
「樹に対しては拘りの強い芸術家の展覧会に行ったような感じ」で、出口から現実に戻って(あのインスタレーションは面白かったな)といったような。

ただ正直、これからの令和世代に響くとはあまり思えないのです。もちろん、それはこれからの世代が感じることで、自分がどうの、という事は言えません。文頭で「片田舎の美術展」と例えたのはそんな印象があったからです。田舎のコミュニティの中で「これは凄い」「年老いてもチャレンジ精神がある」と称賛されるのかもしれませんが、一方でそういった内輪にまるで興味ない人は、題名だけで説教じみたものに感じて敬遠するかもしれません。
『君たちはどう生きるのか』というのは「その芸術家の功績を知っているお年寄り」にしか向けられていないように感じます。ここでいう「君たち」は、若い世代は含まれず「昭和初期を美化したがる世代」に向けられているような。
生い茂る草木、きしむ床の感触、ゆらぐ水の表現、鳥の羽ばたき、奇妙な世界観、ハッとさせられる背景、醜さと美しさが両立した映像美…
素晴らしい見所は沢山あります。 恐らく、イメージボードで見たらかなり美しいのだとも察します。ミニマルミュージック的に回帰した久石譲さんの音楽も素晴らしかった。
ただ、もう「子どもを描けなくなってしまった」…映画としてはここが致命的だったように思います。道徳の教科書に出てくる記号的な男の子の像でほとんど人間味がない。なにか、子どもらしい仕草がない。個性もない。高潔に描きすぎて、意外性もない。泥臭さもない。
「風立ちぬ」(宮崎駿)はあの「空への憧憬と、現実との歪さ」が好きでした。堀越二郎(アニメ)の幼少期の憧れが、結果として地獄のような状況を作り出してしまった、それでもどこか不気味なほど精神を貫き通すものがあって、その歪さは歪みとして、その主人公像は好きだったのです。
ただ、今作では眞人(主人公)の描きかたが、なにか「子どもはこうであってほしい」といった何か押し付けのようなものを感じて、そこで興ざめしてしまいました。(これはあくまで好みの問題ですが)だから、物語としてみるなら世界の均衡についての問題も、「友達を作りたい」という重要な決意も、なんだかまるで盛り上がらない。ここが、どうにも残念なポイントでした。
また、そもそも「君たちはどう生きるか 」というこ既存のタイトル(小説)を持ってくる意味もわかりません。「風立ちぬ」はまだ『掘』というダブルミーニングと複合的なメッセージ性を感じとれました。加えて「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」と記してある以上、タイトルの意義はあった気がするのです。
ただ、今作の場合、母親である久子が「君たちはどう生きるか 」という小説を残して眞人を感銘をうけるシーンぐらいで、「そもそも最初からオリジナルで良かったのでは」としか思えません。
個人的に「作品がつまらなかった」だけならまだ良いのですが、それならば他者のプロットや言葉をかりずに自分の作品として自分の言葉として語ってほしかった。だから、ストーリーが印象に残らず文頭で描いたように「既存の小説タイトルをかりた美術展」という心象でした。これを書いている今でも「せめて最後なら自分の言葉でメッセージを伝えてほしかった」という想いです。残念でした。
ただ逆にいうと、美術展ということさえわかって、それだけに集中していたら楽しめたかもしれません。久石譲さんのミニマルミュージックはジブリは関係なく好きで、加えてufotable等も参加した素晴らしい美術だけでも十分に観た価値はありました。

ここからは、これは少し作品の感想としてはズレてしまうのですが、どうしてここまで呆れているのかというと、これが「ジブリだけの問題じゃない」からでらです。解りやすい例が、朝ドラです。
とにかく、昭和、昭和、昭和、昭和…平成を描くにしても「昭和の価値観で描いた平成」。端的にいうと「平成の脚本家を育てる気がないから令和のドラマが出てこない」、ひいてはそもそも今現在の価値観とひどくずれていく、昭和は昭和のクリエイターで保守的になりターゲッティングも昭和世代になる。何度も昭和のドラマの再放送をする。今度やるゴジラもまた昭和に戻るようで、これもまた頭を抱えます。戦争を体験した人達の映画なら沢山ありますし、今の人は今をもっと描けば良いんじゃないかと。
令和になって、もう5年も経ちます。コロナ禍はいまでも収束しておらず、ロシアのウクライナ侵攻、日本ではテロが起こり…あげていったらキリがありませんが、この5年も激動の時代です。だから、もう少し「今」のクリエイターが「令和世代より先」に向けた作品があっても良いんじゃないかと思いました。

P.S.
「君たちはどう生きるか」の上映前の予告で「面白そうだな」と思った作品がありました。映画「グランツーリスモ」です。「グランツーリスモ」というゲームはカテゴリーとしてはシミュレーションに特化しており、PS2時代から既に「プロが専用コントローラーを握っても実際のタイムと大差ない」と噂はされていた記憶があります。その時はゲーム雑誌の誇大広告のようなものだと思っていたのですが。調べてみると、「GTアカデミー」というもので実際にドライバー養成プログラムとしてグランツーリスモが使われており、そこから実際に「プロのレーシングドライバーになる資格」という大会があったそうです。映画「グランツーリスモ」に出てくる、ヤン・マーデンボローという人物は実際にそこからプロになったそうです。キャッチコピーは「ゲームの勝者は、プロのレーサーになれるのか?」…というのは、既に事実としてあることなのですが、その辺は疎いのでかなり強烈なインパクトがありました。
『君たちはどう生きるのか』というありふれた言葉に対しては、今は「現実でおこったらしいグランツーリスモの出来事の映画化が気になる」といった心境です。
「どう生きるか」といいますか「生きてると思いがけない面白そうなものに会うこともあるんだな」という余韻です。
なんか左半身に違和感を覚えたので脳神経外科に相談。

(問診票に色々と書きつつ、口頭で補足)

医者「うーん、やっぱり2020年3月にコロナにかかって…あの頃検査キットが足りなかった(?)から『重度の咽頭炎』という曖昧な診断になったようにも思います。後遺症…味覚障害の話に関しても合致する部分がありますし、MRIとりましょうか」
みたいな感じですんなりと。というか、どちらかというと、左半身や耳鳴りの話よりもややコロナ後遺症の方に話の内容がよっていったような。

……まぁ、結果は
「脳梗塞や、くも膜下出血等の前兆等はない。正常ですね」
といった感じで。いったんホッとしたのですが。

(キーーーーーーーーーーーーーーーーー)

こういった耳鳴りが今でも続いている…というか、MRIの騒音の影響で吐き気がするほど耳鳴りがやばいです。(今は落ち着きました)
やや本末転倒な感じはありますが、原因が不明瞭だった耳鳴りの治療に関しては耳鼻科と心療内科に絞り込める結果になったので…まぁ、そこはゆっくり向き合おうかなと。
ちなみに、「治らないと考えた方がいい」とは耳鼻科のサードオピニオン時にハッキリ言われました。ここまで長く続いていると、専門家の人にそう言われて何故かホッとしたことがありました。
自分の作った曲を演奏してくださる機会に行けなかったりと、なにかと参ることはありますが……
「折り合いをつける」という風に考えてます。耳鳴りがするのは仕方がない。それだけ。

アニソンのライブとかも行きたいんですけどね。正直、映画ですら耳鳴りが誘発する有り様なのでどうにも…💦
まぁ、学生時(演奏&作曲専攻時)耳を酷使したツケがまわってきたのかなと。

P.S.
ごちうさのエイプリルフールは毎回力はいってますが…今回は思わず涙腺が。ティッピーという存在はごちうさに欠かせない、清川元夢さんのボイスも欠かせないものだったので、夢みたいな時間でした。




最後のフルボイスでした…(´;ω;`)

一方、FGOはやきう。
なもり先生何故そこまで頑張った…w






※1
アイカツ!(TVシリーズ178話、劇場版三作)および最新作「アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~」のネタバレを含みます。

※2
パンフレット等のインタビューはまだ読んでおらず、解釈は異なる可能性はあります。あくまで、個人的な感想を書き連ねたものです。


※ワンクッション、自分のらくがきを置いときます

・『氷の森』という表題

アイカツ!の物語を締めくくる歌が「氷の森」と聞いて、最初に想像したのが「ソレイユ(いちご、あおい、蘭)が溶かしてくれる問題」と想像はしておりました。ただ、「何を溶かすのか」というのは、具体的なストーリーに関わるものなのか、比喩的なものなのかは、まるでわかりませんでした。また、シリアスな展開になるのも、少し覚悟をしていました。理不尽なことが突発的におこるのも、アイカツ!シリーズではよく起こる気がするので。
そもそも、「178話」もかけて綺麗に幕をおろした作品を、更に続ける意味はあるのか、という一抹の不安もありました。「筐体(ゲーム)」「携帯ゲーム(3DS)」「フォトカツ」「スターズとの同時上映映画」「オンパレ」という形で何度も終わりを迎えた物語の先を、どう描くんだろうと。キャラクターが多く、ファンも世界観に長く浸る人が多く、情操教育のなかで物語を観た子も多く、それぞれ思い入れがとても強いぶん「皆が納得する物語は難しい」と思っていました。当時(2011年)はまだ「推し」という言葉じたい、リアルのアイドルにしか使っていなかったような気がします。(ラブライブでその辺りがアニメに対しても使われるようになったような…)

・ソレイユを根幹とした群像劇

内容に関しては、やはり「ソレイユ」(太陽)の物語が中心だったように思います。178話より先の未来を描くことについては、個人的には…「ユリカ様がお酒をのんでるシーンは観たくなかった💦」というのが正直なところです。でも、もともと「普通の女の子」としての側面も丁寧に描かれていたので、今になってみれば確かに自然な描写だったのかなと思います。ただ、帰ってきたアイカツ!格言で「飲みすぎ注意」みたいなのはほしかった…いや、でも大人なんだから普通の描写ですね。かえでちゃんは髪型の変化で「何かあったのかな…」と思いましたが、昔の関係性のまま大人になった感じはしましたね。一瞬、車のシーンで「ダッド」(父親)という台詞が「ダーリン」と何故か勘違いして「らいちくんが!?」となりました😇(でも、いずれにせよあのシーンは混乱するような)
蘭ねえさんは最初からプロ意識が高かったのと、いちごちゃんも劇場版一作目でプロとしての描写(特に歌詞の修正)なんかはしっかり描かれていたので、そこも安心感はありました。
だからこそ、いちごちゃんの言葉に関しては一言一言重みがあって、映画館から泣くのを必死にこらえる声が少し聞こえてきました。自分にとっても刺さる言葉がちらほらと…。個人的には、「君」という言い回しに関しては「フォトカツ」の最後のイベントを少し想起しました。(イベントで最後に自分のHNで別れを言ってくれる描写がありました)
励ましのメッセージというのは、個人的に諸刃の剣だと考えているのですが、ここで「10th」という重みが、説得力のある台詞として響いた気がします。

・記号的ではない描写

髪型…といえば、あおい姉さんは本当に驚きました。テレビシリーズではディフォルメの描写が多く、記号的な描かれかたも多くされていたので、まさか、そもそも髪型が変わるとも思わなかったのです。あおい姉さんの描写について印象が強かったのは「初恋の描写」でした。大体、アイドルアニメだとタブーな気がするのですが、これをきちんとやっていたのが、人物として「一人の普通の女の子」という描きかたが凄く好感がもてたのです。回想シーンではわりとあおいねえさんの髪型は少し違っていて、お団子だったり、ただの髪飾りだったり…ただ「アイドルオタクになった時はシュシュ」という描写は一貫している気がします。初恋のシーンと、オタクになるきっかけと、シュシュが結び付いているのかはわかりませんが、ともあれ「シュシュを外す」というのはそれだけ心理的に明確な変化はあったのだと思います。でも、だからこそ「記号的に人物を描かない」というのは一貫していて、ドラマとしても、やっぱりすごく面白いなと思います。

・「星宮家」から始まっていた物語

ライブのメッセージに関しては、皆さん感想として各々書いていらっしゃるかと思うので、自分は少し違った角度で書き記そうかなと思います。具体的には「星宮家」(家族)のことです。安心したのが「らいちくん」の描写でした。「あのアイドルの中にいて大丈夫なのか」とも感じましたが、お父さんと似てきている描写をきちんと描いてくれて安心しました。「最初から家族がいる」というのを、当たり前のように描写してくれたことは、ホッとしたのです。多分、お父さんと似た良い父親になるんじゃないかと…個人的にはノエルちゃんと「それとなく恋愛の描写」があっても良いんじゃないかとも。瀬名さんとあかりちゃんとはまた違った関係性で、「幼馴染とも、趣味のあう友達とも違うジレンマ」がちょっと観たかったのが本音です。おそらくは、ノエルちゃんがアイドルをやりきってから、それからまた向き合ってほしいなとも思いますが…らいち君が太一さんと同じく「アイドルと結婚する」という未来でも、そうでなくても、それはまた想像の余地がありますね。いずれにせよ、20年ぐらい先の物語になるでしょうか。

・枝を伸ばすように広がっていた物語群

「物語として最初にはじめたこと」を前提として、大人になる未来を描いてくれたのは、原点回帰でもあるのかなとも思います。そもそも、いちごちゃんの母親はアイドル(マスカレード)でした。もう既に、「アイドルであった大人」を描いている時点で、ある種「アイカツ!という物語は最初から大人を描いていた物語」だったのかもしれません。
「氷の森」というのは、思い出の結晶のようなものかなと。アイカツ!1話から、もう既にマスカレード側からすると、数えきれないくらいの思い出はあったことでしょう。とりわけ、星宮太一さんとのご結婚に関しては色々とあったんじゃないかと。
物語上で人間関係の「根幹」が沢山あり、そこから広がって、また成長して…といったように、群像劇として、物語の世界観の比喩として「森」というのは、なるほど振り替えれば確かにそうだったなぁと。あとは、いちごちゃんのサイン回で「木をみて森を見ず」だった女の子が、「森をみるようになった」ともとれるような。

・既に根があった『氷の森』

人間関係や成長物語が「氷である」というのは、文字通り冷たい言い回しかもしれません。言葉の印象として思い浮かべたのはSF用語である「コールドスリープ」でした。それこそ、時をこえて目覚める的な…
でも、「氷の森」という描写(ニュアンス)は既にやっていたのだと思います。それが、美月さんが倒れた時のマスカレード復活回です。「星宮りんご、織姫学園長」という大人が、「ヒメとミヤ」というアイドルに戻ったシーン。『Wake up my music』のライブで二人にとっての「思い出も、音楽も、ファンも、あの時のまま」だったのかもしれませんね。ライトモチーフ(象徴)として、あのBGMもうまく作用していた気がします。その一連の描写で「氷の森」が溶けていた、という印象があります。
だから、『氷の森』というのは悲しい終わりかたではありません。「20年たっても変わらない関係性」という物語は、最初からアイカツ!に内包されているからです。いちごちゃんが憧れていた美月ちゃんが倒れた回がマスカレード回ですから、あの話は今にして思えばかなり重要だったのでしょう。最初、「作中で20年前もの曲なのに昭和のアイドル風(70~80年代風)にしないのか?」と感じましたが、今になってその描写は腑に落ちました。元より、10thのテーマでもある「時をこえて会える」と、提示してくれていたのでしょう。偶発的なものかもしれませんが、どうあれ結果論としてむすびついている、あるいは結び付けてくれたのかもしれません。理屈はどうあれ、色んな人の心に響く素敵な映画でした。映画館の初日、自然と拍手がおきました。当時まだ幼かった人、アニメ鑑賞が趣味な人、それぞれ感想はまるで違うはずなのに、あたたかな空気に包まれていた気がしました。

・アイカツ!の帰結

とはいえ、一方でアイカツ!シリーズはこれでやはり終わりなのかなと、寂しさはあります。
『SHINING LINE*』で「そらせないくらい綺麗だったの」という歌詞が自分は好きです。自分にとってアイカツ!の物語はこれに尽きます。これほど長く追いかけるアニメシリーズは、もうないかもしれません。自分にとっては特別な存在になった印象が強くあります。今回、その先をいったのが「そらせないほど綺麗だった太陽(ソレイユ)が、いつか『氷の森』(ずっと過去の物語)をも溶かす」という物語群だったのかなと感じています。「木」といえば、「クスノキの恋」という話もありましたね。あれも、時をこえた思い出(初恋)の物語でした。
「クスノキの君は50年もパパの事忘れてなかったわ!」
といったように、最初から「木」というのはアイカツ!にとって「かわらないもの」の象徴のひとつだったのかもしれませんね。奇しくも、映画を象徴する写真をとったのがおとめちゃん…というのも、奇縁ですね。

また、生きていたら10年後も、20年後も観返す映画だと思います。「クスノキの恋」のように50年後も探して、求めるのかもしれません。
何度も見返す度に、『氷の森』はとけて『アイカツ!』はまた大人になる度に違った視点で観ることができるようになっているのかもしれませんね。「いつか自然と氷解するもの」というニュアンスもあるような。

・現実とアイカツ!

心から出会えて良かった作品でした。ただ今は、そっと『氷の森』という「自然と溶けていつか思い出すもの」としてそっと閉じておこうと思います。
最後に。アイカツ!シリーズを作って下さった全てのスタッフ・キャスト・関係者に心からのお礼を言いたい気持ちでいっぱいです。東日本大震災で被災中、根本から練り直した企画が、ここまで続くとは制作側も想像してはいなかったのではないかとお察しします。今はコロナや物騒なニュースで不安が続きますが、だからこそ響く台詞が、映像が、音楽が沢山ありました。

・個人的なこと

自分がかかった第一波のコロナの味覚障害は、いまだに治っておらず模索中です。でも、この映画のおかげで元気はもらえました。お菓子の味はもうほとんど忘れてしまったぐらいですが、このアニメを観れば想起できる感じもして、それもまた琴線にふれるものがありました。
原因不明の耳鳴りに関しても、サードオピニオンを検討している状態で、映画を観るのもわりと精一杯な感じでした。これに関しては、「万全の状態で見たかった」というのが本音です。これを書いている最中ですら、キーンと耳鳴りがあり、ぽこん、ばりばり、ぷつん…と、ちょっとヤバめな耳鳴りがあるので、本当にギリギリでした。2021年末のMRI検査で異常はなかったのですが、再検査するかもしれません。だから、この作品もBDでゆっくり観るのを想定していたくらいです。また、長年続けていた音楽については、一旦ひかざるをえず、作曲(+ピアノ)専攻で大学院まで出た経歴も、まぁ水の泡な感じです。たまにご縁はありますが。とはいえ、最近絵をかくのが楽しいので、これはこれで。臨機応変に生きようかなと。
…自己語りは脱線しそうなので、作品の話に戻します。
Twitterでも書きましたが、重ね重ね、本当にありがとうございました。最高の、唯一無二の作品です。

P.S.
正直、まとまらない。
映画に関してもまだ語りたいことがあったり…
2回目でおそらく気付くシーンも沢山あるかなと。
……ぶっちゃけます!!
本音を言うと、「あかりジェネレーションメインで続きも観たい!!もっと色々とめっちゃ観たい!!アイカツ!SS(漫画版)も観たい!!」
ですが、終わりです。
完結です。
『氷の森』です。


すごく辛いです。特にスミレちゃん関係はもっとみたい。らきちゃん(オンパレ)まわりの掘り下げも、もっと観たい。
でも、「もっと観たい!」という感情も含めて『アイカツ!』なんだろうと思います。だから、絵を描いています。
あくまで、雑記ですが読んで下さった人がいたらありがとうございます🌠

アイカツ!を知ったのは、Amebaブログからでした。とある教えて下さった方へ。本当に、心からありがとうございます。人生の支えになった作品でした。そして、自分にとって、これからも支えとなる物語です。それでは。
m(__)m