数少ない、怪奇体験である。
数年前の話。
当時、ジョギングに凝っていて、いつも1時間程度は走っていた。
大概は早朝で、近所にある公園のランニングコースを何周か決めて走るようにしていた。
ある日のこと、その日は1度も走っていなかったことに気づき、こうなると癖のようなもので、走りの目標をたまに伺う神社に立てた。
自宅から普通に歩いて30分程度なので、軽く走れば何分くらいで着くかも興味があった。
時間は、午後8時くらいだっただろうか。
ウェアに着替えて、家を出発する。
(……そういえばあの神社、夜は行ったことはなかったけど、よく考えたらちょっと不気味な気がするな)
などと思ったが、そんなこちらの気持ちを無視し、体がランナーモードに入っているため、足だけが軽快に走り出した。
神社へは、目標時間よりも早く到着する。
薄暗い境内には、街灯の明かりがポツンと灯っているだけだ。
ついでにと、拝殿に参拝して柏手を打つと、二拍手が狭い境内に響き渡った。
すると、いきなりザワザワと風が吹いて来て、頰を撫でた。
(これは、早く退散したほうがよさそうな……)
鳥居の前で軽く頭を下げて、慌ててジョギングモードに入る。
しばらくは、街灯もないような薄暗い夜道をひたすら走った。
すると、どこからか誰かが走って来るような音が聞こえてきた。
最初は、自分と同じような夜の走者がいるのだろう、と思い後ろを振り返ると、誰もいない。
しばらく走り続けていると、また同じような足音が聞こえてくる。
自分の足音が建物に反響して、聞こえてくるのではないかとも思ってみたが、その足音は自分の走るリズムとは全く違うのだ。
明らかに、どこかにもうひとりの走者がいるように思えた。
そして、よく聞いていると、その足音はスニーカーを履いた足音ではなかった。
裸足で走るような、ぺちゃ、ぺちゃという足音なのだ。
当夜に限って、その道にはクルマも通らないし、誰ともすれ違うことはなかった。
自分はただ走り続けて、早くひと気のある商店街へ出たかった。
しばらく走ると、商店街の明かりが見えた。
寂れた商店街のスピーカーから流れる映画音楽を聞いて、内心ホッとしたものだ。
これが、数少ない我が怪奇体験である。
足音が着いてきたのが古い神社だったので、もしかするとなにがしかの精霊のようなものだったのかもしれない。
「べとべとさん」という妖怪がいるが、そのべとべとさんは夜道をひとりで歩いている人の後を着けてくるという。
そして、「べとべとさん、お先へ」と言うと足音は消えると伝えられている。
もし、あの足音がべとべとさんだったら、自分は神社で眠っていたべとべとさんを起こしてしまい、さらにそこから無理なペースで走りまで付き合わせてしまったのだと思えて、申し訳のないことをしてしまった気がしている。
妖怪さんも、お仕事ご苦労様である。
あの時、決め台詞の「べとべとさん、お先へ」と言ってあげたらよかった。