今日、7月26日は「幽霊の日」らしい。

 

『東海道四谷怪談』が江戸「中村座」において初演されたのが、1825(文政8)年の今日だという。

 

『東海道四谷怪談』は、鶴屋南北が書いた歌舞伎狂言だが、日本の怪談の真打ちと呼ぶにふさわしい作品となっている。

 

 また戦前・戦後と何度にもわたり映画化され、中でも中川信夫監督の『東海道四谷怪談』(1959年)は、民谷伊右衛門役・天知茂のニヒルな演技もあいまって名作とされているが、同じ年に三隅研次が監督した長谷川一夫主演『四谷怪談』(1959年)も、力の籠った名作である。

 

 60年代頃までは、これらいくつものバリエーションの『四谷怪談』が、毎年夏になるとテレビで放映され、子どもたちは大人の後ろからこわごわ見ていたものだ。

 

 それにしても、『四谷怪談』は怖い。

 なぜ、そんなに怖いのだろうか。

 

 ひとつには、人間の業というものがよく描かれていることがあると思う。

 そして、人間の持つ悪だけではなく、弱さすらも同時に描かれている。

 

 とりわけ、中川信夫の『東海道四谷怪談』では、伊右衛門はそんな脆い人間のひとりとして登場する。

 

 金や地位に目がくらんで、お岩に毒を盛り、やがてお岩は自死。

 そのお岩の亡霊に追い詰められ、狂乱してゆく伊右衛門の姿が、まさにそれである。

 

 しかし、伊右衛門がお岩の亡霊を見るシーンでいつも感じるのは、伊右衛門は本当はお岩を愛していたのではないだろうか、ということである。

 それは三隅研次監督の『四谷怪談』の方で、顕著に描かれている。

 

 自分が殺しておきながら、心の中では愛していたがゆえに、罪の意識と共にお岩の姿を見続ける伊右衛門。

 なんという身勝手な男の性だろう。

 

 そう考えると、この『四谷怪談』というストーリーは、残酷だが悲しくも切ない物語となる。

 そこが、怖いけれど庶民に愛される怪談となっている所為ではないだろうか。

 

 

 ※過去記事に、加筆修正したものです。