日本初の勲章と幻の勲章 | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!

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土佐の脱藩歴女が、いろんな歴史の旅と日常を綴ります。
 過去ログの(1564nhのブログ)では、本当に沢山の歴史を公開しています! 自分で書いておいて改めてへぇ~・・・なブログも、お時間ありましたら見てみて・・・・!!

先日から、私の故郷高知では、高知発祥の よさこい祭り が開催されている。 毎年この祭りでは、参加した踊り子さん達が、それぞれ競うようにして、密かに狙っているものがある。

 

それが何かと言うとね。 市内の至る所に設けられた各競演場といった通りに、必ず審査員席があって・・・・。 その競演場で踊る姿を認められると、踊っている最中に審査員の指示で メダル を持った人がやって来て、踊っている最中にその首にかけてくれるんだよ。(笑)

 

しかもそれって、競演場毎に違う素材やデザインがあって、審査員席を見ると・・・踊り子さん達の気合の入った声や踊りにパフォーマンス。

そして、とびっきりの笑顔でアピールをして、楽しんでいる姿で印象づけるんです。(* ̄m ̄)プッ 

 

実は私も、初めての高知市内での参加で、見事頂きました♪。.:*・゜

よさこいは、3,4歳からやっているけれど、メダルなど頂いたのは初めで、とんでもなく驚いたのと喜びがいっぱいでした。チュー

 

市内以外だと、メダルとかないからねぇ~~。( *^艸^)

しかも、これって各競演場で出される数が、毎日毎回限られているんで、とても貴重なんですよ。 多い人だと、いくつも首からぶら下げている人もいる。 このメダルは、今でも大切に保管しています。 (*^^)v

 

ところで・・・・、メダルではないが・・・・皆さんは、勲章 なるものを胸に付けた事がありますか・・・・。 う~~んと、多分特別な何かで表彰された人でないと、付けるどころか持ってもいないと思いますけどね。

 

せいぜい・・・私もそうでしたが、中学校で 校章 というものを、胸に付けたくらいだと思います。 その校章とは、格も重みも違う代物である勲章のお話しを、今回はご紹介・・・・・・・。

 

幕末・・・・、西洋に追いつけ追い越せな進展を続けていた日本において、その日本初となった勲章が現れたのは、実は遠いヨーロッパの国であるフランスは パリ万博 での会場でした。

 

パリ万国博覧会の会場にて、当時執り行われた開会式の場にて、

それは時の君主でもあった ナポレオン三世 を始めとするフランス高官に贈られて、とても大好評だったといいます。

 

それがこちらの 薩摩琉球国 と文字をあしらった。 丸に十字のご存知薩摩 島津家 の紋章です。 私が見ても、なかなかかっこいい代物だと思います。 (^。^)

 

侍の時代では、確かにこうした西洋的な飾り物など、胸にぶら下げる事などなかったわけで、元はと言えば・・・・・薩摩藩は英国相手に戦をした事で、西洋の素晴らしいところや優れているところを知ることができて、いち早く海外へと目を向ける事にもなっていった。

 

そんな事柄からも、島津は海外でも引けをとらないこうした代物を、

わざわざ外交戦略の1つとして、現地パリにて作らせている。

フランスのレジオン・ドヌール勲章を参考にまでしてだ。

 

    これがその レジオン・ドヌール勲章 だ・・・・・・

 

元々はあのフランスの英雄である ナポレオン が、自身が制定させた 名誉軍団国家勲章 なるフランスの栄典制度の為に、誕生させたものだ。 これは現在でもフランスの最高勲章にあたる。

 

 

薩摩藩の使節団は、幕府がパリ万博開幕の10日後に到着したのに対して、なんとその2ヵ月も前には、既にフランス入りをしていて、博覧会会場内にも、まるで独立国家を表すようなアピール的スペースを

確保。 そこには 「薩摩太守政府」 なる名があったという。

 

1867年 ・・・・・時は侍の時代から近代国家へと動き出そうとしていた時代。 すでに、薩摩藩の腹は決まっていたようだ。

 

薩摩より遅れて到着した 幕府使節団 の一行は、これらを知ってその帰国後、 勲章創設 を進めるも・・・・・それらは幻と終わることとなる。 そう、1867年と言えば・・・・・、高杉晋作 が死んで土佐藩からは、大政奉還建白 がなされ・・・・坂本龍馬や中岡慎太郎が暗殺された。 そんな緊迫した年でもありました。

 

鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争を翌年に控え、西郷や勝の会談で

江戸城無血開城が行われた年の前年のお話し・・・・・。

 

そんな頃に、薩摩藩と幕府は・・・・遠い異国のパリにて、やがて来る

時代の静かな戦いをしていた。 薩摩って、思い立ったら即決行動派なんですね。(笑) 2ヵ月も前に現地に入るほど気合入ってます。にひひ

 

   そして、その幻となってしまったという 葵勲章 なる代物。

 

三つ葉葵の紋章を、2匹の龍が取り込む図柄は出来てはいたが、その後 大政奉還 を迎える事となり、遂には幕府が滅びる事となり、その日の目を見ることがなかったというものだ。

 

 

今でもやっぱり海外の人に、ウケそうな漢字が入った勲章ですよね。

なんだかとっても威厳があります。 薩摩だけでなくて、琉球国も入れてしまうなんて・・・・・。 しゃれおつ ですわぁ~~✩

 

現在 「薩摩勲章」 と検索かけたら・・・・。

ほぼ・・・・・・

 

これが出てきます。(笑) 一体どんなお味なんでしょうか・・・・。

私はお酒は飲める方だけれど、焼酎はあまりあの独特の匂いがダメでして・・・・・。(´-∀-`) でもまぁ~・・・その功名高いようなお名前のお酒を、いつか頂いてみたいものだとは思います。 (^_^ゞ