毛利高政のこぼれ話し・・・・ | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!

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土佐の脱藩歴女が、いろんな歴史の旅と日常を綴ります。
 過去ログの(1564nhのブログ)では、本当に沢山の歴史を公開しています! 自分で書いておいて改めてへぇ~・・・なブログも、お時間ありましたら見てみて・・・・!!

 

いやぁ~~、昨日まで 「この人凄い!毛利高政」 を、久しぶりの長篇ブログとして書いた私。 うん、褒めてつかわす! ・・・・って、最後をアップしてから布団の海に溺れていました。(笑) 

 

で・・・・? また毛利高政かい! って、思わんといて下さい。(苦笑)

 

実は、文字数と画像で限度ギリギリになってしまって、本当は書ききれないことがあったゆえに、今回はこぼれ話しとしてアップします。(^_^;)

 

 

三の丸の黒門を見て、JR佐伯駅方面へ戻る道を辿ると、徒歩数分で、歩道側に写真のような場所があります。 佐伯の城下町は、毛利の時代になってからも、他藩と変わらずいろいろな自然災害や大火・・・・・

そして、 飢饉 が起こりました。 この井戸も、そんな飢饉の頃に掘られたもので、掘った方は御典医の 今泉元甫 という人でした。

 

時は8代藩主 毛利高標 (たかすえ) の頃。

安永年間です・・・・・、飢饉が続いた佐伯の城下では、この時御典医・今泉元甫が、藩に対して米を150石献上して、城山の麓に三つの井戸を掘ったと言います。 その井戸の1つが、この井戸でして・・・・・

 

今はこの裏の 汲心亭 という場所にて、素敵なお庭を眺めながら、美味しい水で入れた抹茶を、頂けるそうです。 (^ー^) この場所は、元は藩の御米倉があったんだそうです。

 

 

観光地図には、三つの内のこことは別の 甘泉 の井戸の印も示されています。

 

 

国木田独歩館を過ぎて、もう少し城下町の端まで来ると、右手に鶴城高校が見えてくる。 その高校と毛利高政達毛利家の菩提寺となっている。 普賢寺 の目の前に、こうした大きな松が見える。

 

丁度日露戦争の忠魂碑の側でもあるんだが、忠魂碑の写真は前回載せてますが、さて、この松がなんだと言ったら・・・・・・

 

 

調べてみたら、この 島津忠秀 さんとは、世界的動物切手の収集家としても、有名なんだそうです。 そして、水産学者さん・・・・・島津久光のひ孫。 佐伯と島津家・・・・、何か関係もあったんですね。

 

この忠魂碑や松がある場所は、現在 馬場広場 と言われていて、昔はここに関所があったんだそうです。 その頃は、・・・・・・・

馬場先御番所 と呼ばれていたとか。

 

丁度この側の 本馬場通り と言う通りを、海側へと歩いていくと、片町・新町 という通りに出くわします。 今回私も時間がなくて、行ってないんですが、その横に入った通りを挟んで、 善教寺 という寺があります。 毛利高政の母 妙西尼 の菩提寺となっていますが、ここにはもう1人、江戸初期の幕府を騒がせた歴史の人物の1人が、眠っているとの話しです。 その人とは・・・・・・

 

信州松本藩 城主 石川康長 という人。

佐伯には、改易されて流罪となって、毛利家預かりとなって当地に弟と共に流されて来ました。 城の普請工事では、石高を超える金額に、領民の不満は募り。 巨石を運ぶ人足が、苦情を訴えたならば、その首を切り落とし、槍の先に刺して、 「者どもさあ引け!」 と叫んだと言います。 ちょっとエキセントリックな方でもあったようですね。

 

                         (毛利高政縁の 五所明神社)

 

その石川康長が関わったとされている事件とは、歴史にも残っている大久保長安事件 ・・・・・、江戸初期・武田氏の遺臣から徳川家康に抜擢されて、幕府の代官頭として大きな権力を得ていた康長。

 

慶長17年7月頃に中風となり翌年18年4月25日に、駿府にて死去しました。 彼の家臣達は、彼の遺体を武田氏縁の甲斐国へ葬ろうと、その準備に取り掛った途端に、家康から直々にその中止命令が下されました。 その理由は、康長存命中に、彼が代官所の役人として、数々の問題を起こしていたということ。 その事は逐一家康の耳にも入っていました。 しかしそれとは知らず・・・・長安は、毎年鉱山巡視には、遊女を何十人も連れて、全て自分の思うままの行動で、民達からも迷惑がられていました。家康は、実力も確かに持ち合わせていた長安を、生きている内に何とかすることを堪えていた?

 

家康は代官所の勘定が滞っている事を理由とし、5月6日には配下の勘定・手代を呼び出し、過分な私曲を行ったことが発覚。 怒った家康は、長安の財貨を調べ、19日・・・・配下の手代を大名に預ける事とした。 長安支配の佐渡金山・石見金山、長安の息子達の知行も与えられないとして勘当。 息子7人は、7月9日に切腹命令が下されて、全ての財産は没収。 10月には、長安の嫡子に娘を嫁がせていた・・・・

石川康長 が、共謀ありとして知行を隠匿したと改易されることとなった。 (ウィキペディアより)

 

これが石川康長の改易・流罪の真相である。 大久保長安死後、これだけ立て続けに早々と罪を認めさせて、刑に処する事にした家康の怒りは、半端ないものだったのだろうと、想像がつくけれど・・・・・

 

息子7人の切腹 全ての財産没収 ・・・・これは、本当に凄まじい事だ

 

そして、ここ佐伯市の善教寺に、石川康長は寛永19年 1642年12月11日 89歳 で亡くなり埋葬されました。 

また佐伯市には、あの加藤清正公の  もあるんですよ。(^ー^)

 

今回は、本当に回りきれなくて、予備知識のなかったところもあり。できれば早い内にまた、佐伯市にお邪魔したいなと思っているところです。佐伯は故郷高知県との航路が、もう長いことある唯一の町でして、これまではその船に乗るために、夜中に車で行くくらいで、昼間の佐伯の町を歩いたことが、なかったんですよねぇ~~。 お城があると聞いても、まっあってもおかしくはないよね・・・・ぐらいの軽い気持ちでした。

 

                            (五所明神社にて・・・・・)

 

数年前に仕事で住んだ 玖珠 の町にて、角牟礼城跡を訪れた時に、初めて 毛利高政 の存在を知り。 でも、・・・・・・

「中国地方の毛利が、豊後にいたのか?」

「聞いたことのない名前だ・・・・・」 てな感じでして、気になったけどそれだけみたいな・・・・・。 只、今回は国木田独歩にしても、知らない文豪だし、ちょっと覗きに行ってみるかと好奇心が動いた。

 

探せばまだまだ気になるような歴史上の人物や、地域・郷土の人物や事柄ってあるもんですよね。

 

 

だけど、ほんと・・・・・佐伯城の規模と歴史と石垣には、驚くことばかりでした。 (#^.^#) また春になれば佐伯で有名な大名祭りとも言える時代絵巻な祭りもある。 主人公は18才の 菊姫様 ・・・・。その行列が見られるんですよ。 春になったらまたあの城山へ登りたいものです。

 

今でも毎日沢山の市民の方達が、登ってくる山道では、私が帰路しようと下山していたら、その途中でなんと! 乳飲み子を胸側におぶった若いお母さんが、下からあの写真の道を登ってきました。(°д°)

 

おもわず 「大変ですね」 って、声をかけたんだけどね。 お年を召した男女の方々も、学生に負けずにひたすら登る。 皆元気です♫(笑)

多分あの時のお母さんは、産後のダイエットを兼ねていたのかもしれないが、胸元におぶさっている子供は、そんな事覚えてないよねぇ~

( *^艸^)

 

登ればあの素晴らしい絶景が、待っていると思うと、是非次回はお弁当持参で行きたい!! (^O^)/

 

 

     館近くには、こうしたお面製作所なんかもありましたよ。

 

                          (佐伯文化会館にある櫓門)

 

熊本城で知り合った北海道の知人がね、九州にはもう他にお城はないよねと、熊本城規模の城の事を、多分頭にして私に尋ねて来ました。

 

確かに・・・・・、その規模の城はそんなに多くはないけど、戦国時代前からも、国のお偉い人から遣わされて、九州に入り土着した豪族や一族等など、沢山いましたから、そうした人々の館跡や陣屋。 あるいは戦国大名の家臣達の支配していた、領地などの山城とかいろいろ・・・・。

 

本当に、 防人 達の時代からの探せば数え切れない程の城跡は、無数にあります。あぁ~~、佐賀県の 吉野ケ里遺跡 だって、凄いですよ♫ 

 

 

佐伯の町にも、豊かな文化や美味しい食べ物も沢山あります。 大分県は海に面した県でもあるのに、土佐っ子の私からすれば、お魚がまずい!! フグ刺しのようなほどの薄さで、刺身も切って出てくる。

 

同じ海に面した高知では、考えられないなぁ~って思っていたけど、ここ佐伯の町では、どうやら美味しいお魚や魚介を活かした商品。お寿司など・・・・・沢山食べれるって言うじゃないですか! 今度滞在した時には、是非それも食べて紹介できたらなと思っています。 ヽ(*´∀`)

 

 

そして今やマンホールの蓋を写真に撮る。カメラ女子も増えて参りましたが、ここ佐伯市では、そのマンホールカードが無料配布されていて、国木田独歩館前の 城下町観光交流館 で、私は頂いてきました。

 

 

ちなみに、ダム・マンホールときたら・・・・・。 大分県別府市の別府観光港では、 港カード もあることをお伝えしときます。( *^艸^) 

 

佐伯城址には、今や日本中からも登ってくる観光客や城好きがいるんだそうですよ。 もちろんお城のなんたら100選にも、選ばれています。 (*^^)v 

 

 

現在は、今年9月の台風被害の為に、臼杵市から佐伯市間にて、列車走行ができなくなってしまいました。 現在はその区間を、代行バスが走っています。 詳しくはJR九州のホームページで、注意事項欄にてご確認下さい。 代行バスの運行時間なども、見ることができますから・・・・・。ちゃんと乗り換え列車の運行時間との接続もわかります。

 

後は、大分市内からの大分バスを使っての・・・・・バスでの旅ですか。

大分からだと、少々時間がかかる県南の町ですが、いつか訪ねてみて欲しいものです。 山沿いの町にもいろいろあるし、東九州道も通っています。 \(^^@)/

 

 

丁度ね、9月2日の旅を終えて、大分駅に着いたら・・・・。地ビールフェアをやっていてね。 昼間の暑さもあってか疲れて、眠かったんだけど、おひとり様の私もついついこの状態を素通りできずに、ビールとたこ焼きを堪能してきました。

 

 

ビールは3杯飲んだかな・・・・・。 飲み比べですヽ(*´∀`)ノ でも、やっぱり浮気せずに、某地方の地ビールが一番飲みやすくて、美味しかったよ。 多分皆そうだったんだろうなと思う。 随分並んでたし・・・・・

 

急激に寒くなってきたけど、まだまだ西日本では、紅葉もこれからです! 行楽の秋を楽しむように、来月は連休が沢山あるし、どこかへ歴史の旅に出かけてみませんか。 (´へωへ`*)

 

毛利高政のブログ・・・・、今回は久々に詰め込み過ぎてしまいましたが、広く知ってもらうため!! 連休も近いから、秋の夜長にゆっくりと読んで下さりませ。 (m´・ω・`)mペコ