リブログします。
今日、たまたまこの話をする機会があり、
私のドラマー元年の事を思い出したので。
今はバンド活動こそしていませんが、
ドラムの個人練習はずっと継続している私です。
そんな私のドラマー元年はこんな感じでした。
そしてやはり最後までパッとしないまま、
人生を終える事になるのでしょうね、
おそらく。
リブログします。
今日、たまたまこの話をする機会があり、
私のドラマー元年の事を思い出したので。
今はバンド活動こそしていませんが、
ドラムの個人練習はずっと継続している私です。
そんな私のドラマー元年はこんな感じでした。
そしてやはり最後までパッとしないまま、
人生を終える事になるのでしょうね、
おそらく。
これは私が昔からずっと想っている事です。
特に私は若い頃、アトピー性皮膚炎にずっと
悩まされていたので、尚更この標題の想いが
あります。
2003年にある薬を飲むようになってからは、
かなり緩和はされていますが、全く痒くならない
訳ではありません。
痛みを感じる神経は必要だと思います。
痛みと言うのはその部分に傷があったり腫れていたり、
何かしらの警告を示す為の必要な感覚だからです。
しかし痒みはどうでしょう??
アトピー性皮膚炎にしても蚊に刺されたにしても、
漆にかぶれたにしても、痒さを感じると、
その部分を爪などで掻く事になります。
痒さの強弱はあれど、掻く事によって痒みは
収まります。
ただ、掻いた後の皮膚はどうでしょう?
酷い場合は皮がめくれて出血までしてしまって、
その患部は掻く前よりも悪化してしまう事が
普通です。
掻いたからと言って、痒みは収まっても、
その患部が良くなる事はありません。
それならば 痒み を感じない方が、
その患部に何もしなくて済む訳ですから
悪化する確率は低くなります。
蚊に刺されたりした場合は、患部に薬を塗ったり
する必要があるので刺されたと言う自覚をする
意味で痒みを感じる事は必要かも知れませんが、
それとて患部を目で見て、そこがふくれていたら
ああ、いつの間にか蚊に刺されたのだなあ、
と気付いて薬を塗れば良い訳で、
軽傷の場合は薬をぬらなくても自然治癒する訳で、
だったら尚更 痒み を感じる必要は無いのでは
ないか?と思ってしまいます。
痒さ を感じる神経をなくしてしまうと、
何か他に副作用が出るのでしょうか??
私はあんまりそのようには感じられません。
まあ私は医師ではありませんから、
その辺りは全く分かりませんが・・・・。
であれば、痒さ を感じない方が、
その患部を爪で掻いて、より悪化させることが
無いので、その方が良いように、
私は昔からずっと想っているのでした。![]()
ある方が運営しているサイトに1985年7月に録音された
名鉄尾西線 津島→弥富間を走行する3700系HL車の
走行音の音声データがアップされていたので聴きました。
1985年7月と言えば、丁度私が頻繁に名鉄に乗りに
行っていた時期なので、感慨深く聴き入りました。
私がその区間を乗車したのは確か1986年頃だったと
思います。
その時は3800系AL車の3830に乗車しました。
3830は1949年製なので、その時既に経年37年の
旧型車両で、その区間は昔の規格のレール
だったので、凄く揺れたのをよく覚えています。
木枕木である事は間違いないのですが、レールは
おそらく37Kgよりもまだ軽量の30Kgレールだった
のではないかと推察しています。
と言うのは、その区間を列車が走行する時に、
独特のリズムのジョイント音がしたのを覚えていて、
サイトにアップされていた音源を聴いて、
”そうそうこのリズム、久しぶりに聴くけどやっぱり
独特やなあ”
と改めて感じました。
一般的に鉄道のレールは1本あたりの長さが25m
なのですが、最近はこれを溶接してロングレール化
するケースが多いので、列車が走行してもリズムを
聴くことが出来なくなって、それが私が昔よりも
鉄道への興味が薄れている事の要因の一つです。
それでこれを溶接していない場合、
列車が走行する時にレールの継ぎ目を踏んだ時に
”カタンカタンコトン カタンカタンコトン”
と言うリズムを刻むのですが、
このリズムは上記の通り1本のレールの長さが
25mの場合で、またその上を走行する車両の
1両あたりの長さが17m~19mの場合に
聴かれるリズムです。
1985年頃の名鉄尾西線 津島⇔弥富間を
1両の長さが17m~19mの車両が走行した場合、
”カタンカタコトンコトン カタンカタコトンコトン”
と言うリズムになり、1本の長さが25mのレール上を
走行した時のリズムとは明らかに異なっているのです。
これは私の憶測ですが、おそらく1本の長さが10mの
短尺レールを使用していたと思われ、2本を溶接して
敷設していたので上記のようなリズムになるのだと
思われます。
因みに10mの短尺レールを溶接せずにそのまま
敷設した場合、列車がその上を走行すると
”カタンコトカタンコトカタンコトカタンコトカタンコト”
と言うかなり小刻みなリズムになります。
最近ではほとんどこのリズムを聴くことが出来なくなって、
私の個人的な趣味としては本当に鉄道がつまらなく
なってしまったと思います。
しかし今になって、あの名鉄尾西線の独特の列車走行
リズムを再び聴くことが出来て、感動しています。
そして私の記憶は間違っていなかったのだ、
と改めて認識出来て、良かったと思います。![]()
尚ここで書いた列車の走行リズムは、
2両編成以上の場合で、1両だけで走行した場合は、
また少し違ったリズムになる事をお断りしておきます。
今日は約一か月ぶりにリハーサルスタジオへ
入って、ドラムの個人練習を実施しました。
先月入ったスタジオと同系列のお店ですが、
今日は前回使ったところが空いていなかったので、
2018年8月に当時所属していたバンドで
ライブ前のゲネプロで使った所へ行きました。
やはり自宅の練習キット(と言う程大したものでは
ありませんが)を使ってやる練習とは、
一味も二味も違います。
ま、練習キットでは当然の事ながら本物の
ドラムセットの音が出る筈はないので、
やはり本物のドラムセットを叩いての練習は
爽快です。![]()
先月スタジオへ入った時のブログでも書きましたが、
自宅の練習キットを使って続けている練習が
決して無駄にはなっていない事をまたも実感
出来ました。
今日も愛用のドクタービート(電子メトロノーム)を
持参して、スタジオのスタッフの方に、
このクリック音をスタジオ内のスピーカから再生
出来ますか?と聞いたら、出来ますよ、との事でした
ので、またもシールドをお借りしてドクタービートと
ミキサーを接続して、スタジオ内のスピーカから
クリック音を再生し、それを聴きながら練習しました。
しかしスタジオに入って最初は、
クリック音を聴かずに、とりあえずBIG COUNTRYの
THE STORM のライブバージョンを練習しました。
この楽曲のライブでのマーク・ブレゼジッキーの
ドラミングが無茶苦茶カッコ良くて、
そのドラムフレーズが大好きで、
いつも個人的に練習をしています。
スタジオ録音盤ではブラシとスティックを
オーバーダビングでミックスさせているのですが、
ライブではそう言う訳には行かないので、
全パートをスティックで叩いていて、
マーク・ブレゼジッキーが得意とする、
ロールのフレーズを織り交ぜて、
スネアドラムだけを上手く強弱をつけて叩くフレーズが
かなり難しいのですが、普段から練習しているので、
今日は上手く叩く事が出来て気持良かったです。
HARVEST HOME のライブ演奏での
エンディングのタムタムを使っての16ビートの
部分も練習しました。
クリック音を聴きながらでは、
田中一郎さんの SOMEDAY、
過去に私が所属していたバンドのオリジナル曲、
THE WOOD の
プリズムの街 と 嘘で固めたLOVE SONG、
山下達郎さんの 雲の行方に、
布施明さんの 陽ざしの中で、
を練習しました。
自宅の練習キットでやるよりも、
逆に上手く叩けた感じがして、
その事も気分が良くなる要素です。![]()
スタジオでの個人練習を終えてからは、
先月同様のある場所へ行って、
そこでも最高に気分よく過ごす事が出来て、
今日は一か月ぶりに充実した
気持の良い日になりました。
しかし20代の頃は、土日はほぼ毎週、
当時所属していたバンドでスタジオリハーサルや、
ライブ出演をしていた訳ですが、
今から思うとよくやっていたなあ、
と言うか、
現在やらなくてはならない色々な事を
当時の私はやらなくても良かった、
ある意味結構な身分だったのだなあ、
と感じてしまいます。
結局20代の頃の私は、
自分の事しか考えずに生きていた奴だったのだ、
と改めて認識してしまうのでした。![]()
ここ最近このブログで書いている
私の36年来のファンであるイギリスのロックバンド
BIG COUNTRY が、1981年の結成から2000年の
解散まで、オリジナルメンバーでの活動を続けられた
のは、お互いがプライベートに立ち入らなかったから、
とのコメントをドラムのマーク・ブレゼジッキーと
ベースのトニー・バトラーが発言している、
とwikipedhiaに書かれていました。
最も、その事が原因でリーダーの
スチュアート・アダムソンの自殺をメンバーが
止められなかったと言うのも事実のようです。
オリジナルメンバーでの最後のアルバム
DRIVING TO DAMASCUSは、アダムソン自身は
出来栄えに納得していたのですが、
ヒットチャートで苦戦した為に、アダムソンは鬱病を
患い、しばらくの間失踪してしまったのでした。
私もリスナーとして、DRIVING TO DAMASCUS
は良いアルバムだと思いますし、完成度も高く、
BIG COUNTRYらしさも備えていて、
ある意味、完璧なアルバムだと思います。
楽曲のバリエーションも豊富ですし。
しかしヒットには恵まれなかったのです。
私が彼らの作品に抱いている感情と、
アダムソンが作品に抱いている感情は、
概ね同じように思います。
彼らの意志とは関係なく、
レコード会社が一方的にアメリカのマーケット拡大
のみを意識して作らせた4枚目のアルバムは、
正直なところそれを聴いた私はある意味で
彼らに失望してしまったのでしたが、
アダムソン自身も
”あれは失敗作だった”
とはっきりと公言しているのです。
だから私が感じた事をアダムソンはその
何百倍も強く感じていたのではないかと
思います。
4枚目のアルバムが成功しなかったのは、
レコード会社のせいであると感じて、
納得出来ていたところ、
DRIVING TO DAMASCUSはアダムソン自身は
満足して自信作と感じていたのに、
それがヒットしなかったと言う結果は、
本当に辛かったろうと思います。
2000年にBIG COUNTRYが解散し、
アダムソンは新たにラファエルズと言うユニットを
結成してアルバムも1枚発売しているのですが、
2001年12月に自殺してしまったのでした。
BIG COUNTRYのメンバーは、アダムソンが
そこまで思い詰めていたと言う事に気が付かなかった
というような事がコメントされています。
おそらくアダムソンはメンバーの前では気丈な態度を
いつも取っていたと思われ、
メンバーもそれを見てアダムソンの悩みの深刻さが
分からなかった、
それは冒頭に書いた通り、BIG COUNTRYは
メンバー間のプライベートには深く立ち入らない
と言うスタンスで活動を続けて来たからなのです。
なのでいつもこのブログで書いている通り、
人間関係って、本当に難しいなあと思います。
アダムソンは周囲の色んな人達から、謙虚で
他人に対して気遣いが出来る素晴らしい人物だった
と言う評価をされている事が多く、
おそらくメンバーにも色んな意味で気を遣って
接し続けたいたのだと思います。
マネージャーのイアン・グラントはアダムソンが
亡くなった時、
”この業界で仕事をしていると、一旦離れてしまったら
もう二度とその人とは会いたくない、と思ってしまう人が
ほとんどだが、アダムソンはまた再び会って、
もう一度一緒に仕事をしたい、と思えるような
素晴らしい人物だったので、本当に残念だ”
とコメントしています。
アダムソンは自身がアルコール依存症になって
しまっても、
メンバーに対してはそれが顕著に分からないような
接し方をして来たのだと思います。
しかし、結果的にその事がアダムソンを自殺に
追い込む事になってしまったのは、
何とも言いようがありません。
自殺した時のアダムソンは、二人目の奥さんに
離婚され、DRIVING TO DAMASCUSも売行き悪く、
20年活動を続けて来たBIG COUNTRYも解散し、
人間としても男としてもミュージシャンとしても
全てに自信を無くしてしまい、
本当に心身ともに疲れ果てていたのではないか、
と思います。
マーク・ブレゼジッキーとブルース・ワトソンが
オリジナルメンバーとして他のメンバーを加えて、
今でもBIG COUNTRYとして活動を続けているのは、
アダムソンを救えなかった後悔の念もあって、
それに報いる為であるのかも知れないと
想っています。
人間関係も厄介だし、生きて行くと言う事も、
本当に色々と大変な事ばかりだなあ、と
アダムソンの事を考えると思わずにはいられないし、
本人の本当の気持ちは、やはり本人しか分からない
のだ、と言う事を改めて実感してしまいます。![]()