1990年8月のある日曜日、

当時私がドラマーとして所属して尚且つ私が

リーダーであったバンドで、神戸のメリケンパークで

野外ライブに出演しました。

 

きっかけは、当時リハーサルでいつも使っていた

スタジオを経営している楽器屋さんのスタッフの方から、

メリケンパークの野外ライブの出演者を募っている

人がいるから会ってみませんか?

と紹介を受けた事でした。

 

それから数日後、新開地の喫茶店で主催者の方と

会って、出演させてもらう事になりました。

 

その時の打ち合わせの中で、出演順をどうするか、

と言う話になって、主催者の方ともう1人一緒に

来られていた方が、

”トリはやっぱりあの人達に決まっているやろ”

と話していました。

 

その主催者の方は、それまでにも何度かライブの

主催をなさっていたようで、トリの候補のKと言うバンド

が常連として出演している事が理解出来ました。

 

我々のバンドは初めての出演だし、出演順についても

特に拘りはなかったので、主催者の方にお任せで

決めて戴きました。

 

私のバンドはその時既に、何度かライブハウスに

出演していて、そのライブの数日後にもライブハウス

の出演が決まっていた状況でした。

 

本番当日、我々のバンドはいつものペースで演奏を

実施し、その数日後のライブハウス出演についても

告知をさせてもらったのでした。

 

それで実際にそのライブイベントの各出演者の

演奏を聴いてみると、各グループとも、

ライブハウスに出演とかの経験はなく、本当に趣味

としてバンド活動を楽しんでおられる方々が

集まってのイベントである事を改めて認識して

しまったのでした。

 

主催者の方達が打ち合わせの時に言っていた、

”トリはやっぱりあの人達やろう”

と言っていたKと言うバンドの演奏も聴かせて

もらいましたが、正直な所、その時既に

ライブハウスに出演させてもらっていた我々と

遥かに演奏レベルは違っていたのでした。

 

要するにそのイベントにとって、

我々は”異分子”だったと言う事を、出演してみて

初めて気づいてしまったのでした。

 

だからそのイベントでいつもトリを務めていた

Kと言うバンドの人達のメンツを、

我々が潰してしまったような気がして、

イベント終了後に私のバンドのメンバー間で、

”今日のイベントは、我々が出るべきでは

なかったかなあ”

と会話をしたのを今でも覚えています。

 

その後、その主催者からの連絡は無く、

彼らがライブイベントを続けていたのかどうかも

全く分かりませんが、

あの主催者の方々と、常連の出演者の方々で

ある意味上下関係のような環境が出来上がっていて、

通常は機嫌よくKと言うバンドの人達も、

”俺たちが一番だ”

と思って出演していたのに、我々がそれをぶち壊して

しまった事は、何か申し訳ない気持ちになって

しまったのでした。

 

Kのメンバーの方々は衣裳もバッチリキメて来ていたし、

それまでのそのイベントでは主催者をはじめ、

他の出演者からも一目置かれていた存在で

あった事は、その雰囲気で理解が出来たのでした。

 

だからと言って、我々がわざと下手くそに演奏をする

訳にも行かないし、もしそんな事をしてしまったら、

却って他の出演者やライブを観に来て下さっている

お客様に失礼になってしまいますし、

凄く複雑な気持ちでその時の演奏を終えたのでした。

 

勿論楽器屋さんのスタッフの方も好意的に我々に

主催者の方を紹介してくれた事も分かっているので、

それだけにやはり人間関係って、

難しいものだなあ・・・・・、

とその時にも感じてしまったのでした。

 

あれ以来、ライブハウスへの出演か、

それ以外のイベントの出演は、前々から知っている

主催者が開催するライブのみに出演するように

なったのでした。

 

という訳で、

あのライブイベントには出るべきではなかった、

と今になっても思ってしまうのでした。ショボーン

 

 

このブログでこれまでにも書いていますが、

私が1989年10月から1992年9月まで

ドラマーとして所属していたバンドで、

そのバンドのリーダーでありギターリスト

である人物と、ボーカリストの事が嫌いで、

当時の音源は優れた出来栄えなので

今でも時々聴いていますが、メンバーには

会いたくないと言う事について、

その原因にもなった出来事を思い出したので

書いてみたいと思います。

 

あれは1990年6月のとあるライブで、私が仕事の

関係で本番には絶対に遅刻せずに参加するが、

リハーサルは欠席します、と告げて約束通り

本番は問題なく出演したライブがありました。

 

しかしその後でボーカリストとギターリストから、

ライブに穴を空けるな!!それが例えリハーサル

だけの事にしても!!と偉そうに説教をたれられた

のでした。

 

私は当時、意地でそのバンドを続けていたから

それからは仕方なく、リハーサルも欠席せずに

ライブ出演を続けていたのでした。

 

それから時は流れて、あれは1991年10月の梅田の

とあるライブハウスに出演した時、ボーカリストが

どうしても仕事の関係で本番は絶対に遅刻せず

出演するが、リハーサルだけ欠席させて欲しい、

とほざきやがったのでした。

 

しかもその日のライブ本番のMCで、

”今日はねえ、ちょっと事情があってこの僕は

リハーサルを欠席して本番に間に合うように

ぎりぎりにこのお店に滑り込む、と言うような

綱渡りみたいな事をしてしまいましたあ”

などとお客様に向かってほざきやがったの

でした。

 

私は、

”昨年6月のライブの時、私が同じことをしたら

偉そうに説教をたれやがったくせに、何それ?

おのれが自分自身で同じことをやって、

しかもシャーシャーとお客様に向かって嬉しそうに

MCのネタにするって、一体どういう事??

信じられへんな、このおっさん”

と思ってドラムセットの前に座っていました。

 

そしてその後、ボーカリストとギターリストの仲が

ギクシャクするようになって、実質その次の年で

そのバンドは解散したのでした。

 

あの時の事は、今思い出しても腹が立って来ますね。

 

人に偉そうに説教たれておきながら、

結局自分が同じことをしていると言う、

じゃああの時私に説教をした、

あれは何な訳??????

とそんな想いで今も一杯になります。

 

そんなこともあり、また他にも私にとって不愉快な

事が多々あったので、あのメンバーとは今でも

会いたくありません。

 

あの頃演奏していた楽曲は全曲オリジナル曲で、

それについては今でも私は好んで聴いていますが、

メンバーの人間性がそんな感じでしたので、

金輪際会いたくないですね。

 

そんな訳で、私は根に持つ性格なのでした。

 

そして私自身は、他の人に対してそのような事を

しないように、気を付けたいと思います。ニコニコ

 

 

私が過去にタップダンスを習っていたスタジオが、

2012年5月に三宮校を開校させたので、

自宅が神戸市内の私は一度覗いてみようか、

とずっと考えていたら、昨年12月で閉校になって

しまいました。

 

最近、とあるブログを読んで、そのスタジオの

三宮校の開校が2012年5月であった事を

改めて認識して、概ね10年もの月日、

そこへ行こうかどうか思案をしながら、

結局一度も行かなかった私自身について、

想う事色々です。

 

私がタップを習っていた頃は、現在も本校として

存在している大阪の北浜のスタジオまで通って

いたのでした。

 

仕事が大阪市内だから、平日は仕事が終わってから

通っていましたが、当然の事ながら休日はわざわざ

神戸から大阪まで通うと言う事になっていました。

 

三宮なら北浜よりもはるかに自宅から近いので、

機会があれば一度行ってみようか、

と思っているうちに一度も行かないまま閉校に

なってしまいました。

 

どうしてかなあ???

 

おそらく自分が受けてみようと思うレッスンの

実施時刻が、私の生活のリズムと何となく

合わない時間帯だったから、

と言うのが理由になると思います。

 

そう言えば北浜本校も、

以前私が通っていた時間帯と、

現在の各レッスンの時間帯が変わってしまって、

北浜本校ですら、私の生活のリズムと合いにくい

時間帯でのレッスンとなってしまったので、

北浜本校も仕事中にその前を通る事は

あっても、レッスンを受けようと言う意欲が

湧かなくなってしまっているのでした。

 

因みにそのスタジオは今年の5月からまた新たに

三木市内に三木校を開校して、そこでタップや

他のダンスなどのレッスンを始めていますが、

何故に三木なのだ????

と言う疑問が湧いてしまいます。

 

三木となると、車で行くか、神戸電鉄を利用するか、

になりますが、神戸電鉄は運転本数が少なく

(1時間に1本か2本くらいだったと思います)

スタジオへの往復で労力を費やしてしまいそう

なので、おそらく私がそこへ行く確率は低い

(もしくは行く事はない)でしょう。

 

そんな訳で、自宅から便利な場所に開校して

おおよそ10年もの間、そこでレッスンを実施して

いたにも関わらず、結局三宮校には一度も

私が行く事なく、閉校してしまったのでした。

 

そしてこれから私がタップダンスをする事は、

もうおそらく無いのではないかと思います。

 

 

 

 

イギリスのロックバンド BIG COUNTRY の

楽曲です。

 

この曲、物凄く個性的だと思います。

 

個性的と言うのは、こういうものである、

と言う見本のような楽曲だと私は思います。

 

1987年の秋ごろに私は初めてこの楽曲を

聴きました。

 

彼らのシングル曲として発表された

WONDERLAND を含む4曲入りのLP盤に

収録されていました。

 

この楽曲を初めて聴いた時、私は強く”イギリス”

をイメージしました。

 

行ったことは無いのですが、この楽曲を聴いて

いると、イギリスの空気のようなものを私は

いつも感じます。

 

少なくともアメリカを感じる事は全くありません。

 

リズムはオーソドックスな8ビートなのですが、

スチュアート・アダムソン

ブルース・ワトソン

トニー・バトラー

マーク・ブレゼジッキー

の4人のメンバーが4人とも各自に強烈な

個性的なフレーズを演奏しています。

 

アダムソンのボーカル、リードギターも

独特のイメージですし、

ワトソンの16分音符の正確なカッティングは、

他のロックギターリストのプレイではあまり

聴かれる事が無いと思われるフレーズですし、

バトラーのベースも、ピック弾きでありながら、

複数の音で構成する(複数の弦をギターの

ストローク風に弾いている)個性的なフレーズ

ですし、ブレゼジッキーのドラムも8ビートを

基調としながら、バスドラムとシンバルのカップ

を16分音符の連打でユニゾンで叩いたり、

チャイナシンバルを多用して独特な楽曲の

雰囲気を作り出している個性的なドラミング

ですし、本当にメンバーの4人が4人とも、

各自に個性的なフレーズを演奏して楽曲が

組み立てられていると思います。

 

メロディーも歌詞も独特です。

 

特にワトソンが弾く16分音符を全くリズムの

狂い無く弾きこなしているギターのカッティングは

ライブの音源を聴いてもちゃんと再現されていて、

ワトソンのギターテクニックと独特のセンスを

感じる事が出来ます。

 

この楽曲に影響を受けて、1988年に私は自身で

AWAZA PARK と言うタイトルの詞を書きました。

 

因みにAWAZA PARKは、当時私がドラマーとして

所属していたバンド PUMP のギターリスト、

西谷祥弘さんが曲を付けてくれて、

それ以後長い間、私が2019年1月4日までドラマー

として所属していたバンドで演奏され、私がドラムを

叩きながらリードボーカルをとっていました。

 

それくらい ANGLE PARK は私にとって、強い影響を

受けた楽曲で、この楽曲も私が BIG COUNTRY の

ファンを36年も続ける事になった要因の一つと言って

良いと思います。

 

BIG COUNTRY の ANGLE PARK 

本当に個性的な楽曲だと思います。真顔

久しぶりにリブログします。

 

何故なら私の気持ちはこの時とまだ変わって

いないからです。

 

前回と前々回のブログで、リハーサルスタジオへ

入って、2時間休憩なしで18曲もの楽曲を

ドクタービート(電子メトロノーム)に合わせて

ドラムセットで一人で演奏をした話を書きましたが、

未だにバンドでドラムを叩く意欲が、あまりありません。

 

その理由はリブログの通りです。

 

それと他にも個人的な事情もあって・・・・。

 

以下、リブログです。