昨日のブログの内容は、

自分自身で非常に的を得た内容だ、

と改めて感じます。

 

私がリーダーをしていたバンドは、

後にもう一方で掛け持ちで活動していた

私がリーダーではないバンドのリーダーだった

ギターリストが加入して、

オリジナルギターリストは2人とも脱退して

行ったのでした。

 

それは私がリーダーではないバンドの

ギターリストが私がリーダーだったバンドに

入りたいと言うような意思表示をした事と、

私がリーダーだったバンドのボーカリストも

それを望んだからです。

 

私は当時、リーダーの立場で特にボーカリストが

それを望んでいるのであれば、そのようにしても

良いかなあと感じてそのように進めました。

 

私がリーダーではないバンドでは、

このブログで過去に書いた通り、

私がボーカリストに対して不信感を持つように

なっていたし、ベーシストも結婚を機に

脱退する事が決まっていたので、

なおさらその動きを進めたのでした。

 

ただ、オリジナルギターリストの2人のうち、

一人ははっきりと脱退するとは言わなかったものの

結婚後、スタジオリハーサルに来なくなったりして、

実質脱退と言う状態になり、

それはそれで仕方が無いと思いましたが、

もう1人のギターリストは、私がリーダーの

バンドでの活動の継続を望んでいたのでした。

 

しかしやはり彼も結婚を控えていて、

より活動の幅を広げたいと言う意思を

持っていたボーカリストとは、少し気持ちが

違っていて、結局上記の通り私がリーダーでは

ないバンドのギターリストが、私がリーダーだった

バンドに入りたいとの意思表示をしたことから、

そのようになったのでした。

 

当初はギターリストも私をリーダーと認識した上で

活動をしていましたが、もう一つのバンドでは

リーダーと言う立場で、正直なところ私の数倍以上、

リーダーとしての動きをしていて、

また私の数十倍の音楽的知識、センス、ノウハウ、

作詞作曲編曲の能力、演奏テクニックなど、

全ての面において優れていたギターリストが、

いつもまでも私をリーダーと認識したままで活動を

続ける訳は無く、だんだんとバンド内での私の環境、

立場が変わって行ったのでした。

 

それはそのギターリストを加入させる時点で、

おそらくそういう事になって行くだろうなあ・・・、

と言う私の予測はあったのですが、

上記の通り、当時ボーカリストがそのギターリスト

の加入に意欲的だったので、

リーダーの私はボーカリストの気持ちを優先して、

ギターリストの加入を許諾したのでした。

 

だから私がリーダーだったバンドのベーシストは、

当時かなり複雑な心境だったようです。

 

活動を続けたいと言う意思を持ってくれていた、

オリジナルギターリストの事をかなり気にかけて

いましたので。

 

実際、いろいろあって結局私がそのバンドを

去ることになった時、ベーシストも私が辞めるのなら

自分も辞めるわ、と言って一緒に脱退したのでした。

 

ベーシストはその後無事に結婚し、

お子さんにも恵まれたので彼にとっては

その時の脱退は、大正解だったと思います。ニコニコ

 

そんな訳で、上記の通り私がリーダーだったバンドを

私自身が去ることになったと言う事が、

前回のブログの内容の裏付けになる、

と言えると思います。ニコニコ

 

このブログで過去にも何度となく書いて来ましたが、

私が20代の頃に仕事をしながらドラマーとして

2つのバンドで掛け持ちで活動を続けていた事は、

私が2つのバンドのうちの1つのバンドで

リーダーと言う立場だったからである、

と言う事を最近になって気が付きました。

 

少し前までは、リーダーではないバンドの方は、

そのバンドで演奏していたオリジナル曲を好んでは

いましたが、自分の立場が嫌で、色々と悔しい

想いや嫌な想いをしながら意地で続けていた、

その事ばかりをいわばマイナス要因として

ずっと思い続けて来ました。

 

しかし、それはもう一つのバンドでは、

私はリーダーと言う立場であったからなのです。

 

私がリーダーだったバンドは、大学時代の同級生で

組んでいて、リーダーと言っても私が絶対的な

権力を持っていた訳ではなく、どちらかと言うと

私は様々なライブ出演に関して会場との交渉など

をリーダーと言う立場で実施したりしていて、

作詞作曲は私を含めたメンバー各々が作って来た

ものをメンバーでアレンジして完成させていました。

 

いわば私はリーダーと言うよりも、マネージャー的な

役割の方が大きかったかも知れません。

 

しかしメンバーは全員、私をリーダーとして認識して

くれて活動を続けていたのでした。

 

だから私はリーダーとして、メンバーよりも一歩進んで

いなくてはならないのだ、と言う事を無意識のうちに

意識して活動をしていた事に今更ながら気が付いたの

です。

 

私がリーダーではないバンドは正直な所、

私がリーダーだったバンドよりも、オリジナル曲の詞、

曲、アレンジ、どれを取っても優れていて、

私がリーダーのバンドのメンバーも、その事は

暗黙の了解的に理解をしていたのでした。

 

つまり私は自分がリーダーのバンドよりも、

もう一つレベルが上のバンドのドラマーであると言う事で、

メンバーよりも優位であると言う状況を作って、

リーダーの面目を保っていたのでした。

 

なので過去にこのブログで書いた事がありましたが、

嫌な想いをしながら意地になってもう一つのバンドを

続けずに、もっと私がリーダーをしていたバンドで

活動を強化すれば良かった、

と考えた事は今考えてみると、

それは間違いであったと気付いたのです。

 

もしあの頃そうしてしまっていたら、

私はリーダーとしての優位性を失ってしまう事になり、

上手くバンドを運営出来なくなってしまっていた

可能性があると考えます。

 

要するに私は、

リーダーである以上はメンバーよりも一歩進んだ

部分を持っていなければならない、

との想いを強く持って、自分なりに一生懸命

リーダーであろうと努力をしていたのだ、

と感じます。

 

それだけリーダーと言うのは大変なものなの

です。

 

それはバンド以外の事についてもです。

 

私は元来、リーダーに向いていない人間であると

自覚しているので、仕事面も含めて自分がリーダー

になろうと言う意思を持つことが無いのですが、

言い換えればリーダーになるにはそれだけの価値が

ある人間でなければならない、との意識を常に

持っているのです。

 

リーダーたるものは、常にメンもバーよりも

一歩先を行く人物でなければならない、

それは本当に大変な事だと思います。

 

だからあの頃、仕事をしながらしんどい想いをして、

2つのバンドを掛け持ちしていたのは、

決して意地でやっていただけではなかったのだ、

と最近あの頃の自分がリーダーだったバンドの

音源を繰り返し聴いているうちに、気付いたのでした。

 

今になって違う角度から自分自身の過去を

振り返ってみると、あの頃の私はリーダーの自覚を

持って精一杯頑張って活動をしていたのだ!!

と今更ながら自分で自分を褒めてあげたい

心境です。ニコニコ

前回のブログの続きになりますが、

1990年4月にボーカリストが片足を骨折し、

ギブスを付けたままライブ出演したライブハウスに、

その後3年に渡って定期的にブッキングをさせて

もらう事になった当時私がリーダーをしていた

バンドで、初回出演の終了後にマネージャー

から厳しいコメントを戴いたのですが、

8月に2度目のブッキングをさせてもらって、

そのライブの終了後は特に厳しいコメントはなく、

暖かく接してもらっていたのでした。

 

その後も1991年の7月だったと思いますが、

そのライブハウスに出演した時は、

何と我々のバンドのギャラリーがたったの1名で、

しかもその1名はギターリストの婚約者であった

と言う悲惨なライブも経験しました。

 

しかしライブ終演後、

今日はマネージャーから怒られるだろうなあ・・・・、

と予想していつものチャージ精算を兼ねた

マネージャーとのミーティングを実施しましたが、

以外にも怒られる事は無く、

結果として仕方が無い事だが、折角1名だけでも

お客様に来てもらっているのだから、

あんな寂し気な表情でステージをこなすのではなく、

そのお客様に目一杯楽しんでもらうと言う気持ちで

もっと明るく演奏をするように、と言うような

暖かいアドバイスを戴いたのでした。

 

それに反してその日、対バンで出演していたバンドは、

そのライブハウスに初出演で、そこそこギャラリーも

来てくれていたにも関わらず、マネージャーからは

物凄く厳しいコメントをされていたのでした。

 

そう言えば、我々のバンドも初めてここに出演させて

もらった日も、あんな風に厳しいコメントをされて

いたなあ、とその時そのコメントを横で聴いていて

思いました。

 

因みにその対バンのバンドはその日以来、

そのライブハウスに出演する事はなかったように

思います。

 

なのであのマネージャーは、敢えて初出演のバンドには

厳しいコメントをして、

それでも出演を続けるのかどうかで、

バンドの評価をしてくれていたのかな?

と今になって思います。

 

実際、私がリーダーをしていたバンドはその後色々

あって、私がそこを脱退する事になったのですが、

新たに私がドラマーとして所属する事になった

ファンクロックバンドについて、

系列のライブハウスにすぐに出演させてもらう事が

出来て、結局そのバンドでまた定期的にブッキングを

入れてもらえるようになったのでした。

 

その後、阪神淡路大震災に見舞われて、

ギターリストが仕事の都合で東京に住むことに

なってしまったりしたので、そのバンドでの活動が

出来なくなり、ライブハウスのブッキングはそれっきり

になってしまいましたが、ギターリストが東京へ

行かなければ、その後も出演を続けていたかも

知れないなあと思います。

 

あの頃、自分自身では自分のドラムプレイの

悪い部分ばかりを気にして、それを改善すること

ばかり考えてずっと活動を続けていましたが、

今になって考えると、もっと自分のプレイに自信を

持って活動をしていれば良かったなあと思います。

 

と言う訳で、2回目からのライブハウス出演では、

マネージャーは暖かく接してくれていたのでした。ニコニコ

 

 

 

 

前々回のブログで、当時私がリーダーであり

かつドラマーとして所属していたバンドの話を

書いたのですが、それで表題のライブを実施

した事を思い出しました。

 

1990年4月のある日曜日、今は無き尼崎の

ライブハウスに我々のバンドが出演する事が

決まったのはその年の2月の終わり頃だったと

思います。

 

それから程なくして、ボーカリストがバイクで

交通事故に遭い、片足を骨折して1ヶ月強、

入院生活を強いられたのでした。

 

3月にもそのバンドでコンテストに出場の

予定でしたが、それはやむなく辞退しました。

 

しかし、4月のライブはボーカリストが片足に

ギブスを付けたままでも出演する、

と言ってくれたので、出演を強行しました。

 

その前の年の11月に、私のバンド仲間で結成

していた音楽同人が主催で、その尼崎のライブハウス

に出演したのでした。

 

そうしたら終演後にライブハウスのスタッフの方から、

今度デモテープを持って、このライブハウス出演に

向けて、またここへ来てください、

と言って戴いたのでした。

 

11月のイベントは、私は3つのバンド掛け持ちで

ドラマーとして出演していて、そのうち私が

リーダーをやっていたバンドのみ、そのように

声をかけてもらって、あの時は正直、メンバー一同

凄く嬉しかったのを覚えています。

 

それで1990年の2月になって、ようやくデモテープが

出来たので、それを持ってライブハウスを訪問した

ところ、その場で4月の出演が決まったのでした。

 

しかもその4月のライブの対バンの2バンドは、

当時そのライブハウスでレギュラー出演しているバンドの

極めてギャラリー動員数が高い、いわばライブハウスの

看板とも言えるバンドであって、いきなりそのような

バンドと対バンさせてもらえる事に、正直言ってかなり

戸惑った事も事実です。

 

しかし、ライブハウス側のそのような好意的な計らいも

あり、ボーカリストはギブスを付けたままでも

ライブ出演を強行してくれたのでした。

 

前々回のブログを書いてから、久しぶりにその時の

ライブ音源を聴いていますが、演奏の出来栄え

としては、その時のメンバー各自が力を発揮出来て

いたと思います。

 

しかし上記の通り、そのライブハウスに初めて

出演させてもらう立場でありながら、対バンの2バンド

が当時のそのライブハウスの代表的な存在

と言っても良いバンドだっただけに、我々のバンドの

ボーカリストも含めた各メンバーの気負いも凄く

感じて、満員のギャラリーの前でいきなり

ライブハウス初出演と言う立場で、正直なところ、

演奏を楽しむ余裕は全くありませんでした。

 

しかもその日の私は、もう一つドラマーとして

かけもちで所属していたバンドで、昼間に梅田の

アムホールでコンテストに参加し、

それが終了してから尼崎のライブハウスに向かい、

リハーサル、本番出演をこなしたのでした。

 

更にその日は学生時代のアルバイト先のマネージャー

だった方の結婚式もあって、実はライブとコンテスト

の出演、出場が決まる前に結婚式の案内状をもらって

いて、当初は出席で返送したにも関わらず、

後日コンテストとライブが決まってしまったので、

マネージャーには電話で事情を伝えて謝罪の上、

結婚式は欠席にさせてもらったのでした。

 

今から思えば、あの頃の私はそうまでして

バンド活動を優先させていたのだなあ、

と今になって改めて認識してしまいます。真顔

 

しかし、そのライブの終演後、

ライブハウスのマネージャーから色々と厳しい

コメントをされて、凄く複雑な気持ちで帰宅した

事を今でも覚えています。

 

これから今後ずっとライブハウスの出演を

続けて行くべきか、それともそれまでのように

楽しくバンド活動を続ける事に専念すべきか、

リーダーとして凄く悩んでしまったのでしたが、

バンドのメンバーからは、

これまで通りライブイベントにも出演しながら、

ライブハウスの出演も両方やって行こう、

と言うような意見をもらった事から、

それからしばらくの間はそのように活動を

続けて行ったのでした。

 

そしてその結果、前々回のブログで書いた

ライブイベントに出演し、そこでまた考える事が

色々と増えてしまった、

今から思えばあの当時はそんな想いに悩みながら、

バンド活動を続けていたのだなあ・・・・、

と、懐かしく感じてしまう私なのでした。ニコ

今日は約一か月ぶりにある場所へ行って、

気持良くすっきりとしました。

 

先月同様、スタジオでドラムの個人練習を

してから行きたかったのですが、スタジオの

空きがなかった為、今日は直接そこへ

行きました。

 

夏の暑さの疲れもあったので、

今日はそこで疲れをほぐしてもらって、

すっきりしました。

 

そんな訳で、

今日は気持ち良い一日になりました。ニコニコ