来る12月17日に阪急、阪神、山陽各社

のダイヤ改正が実施されますが、

その広告の内容が嘘吐きなので、

あきれています。

 

それは私がよく通勤で利用している

新開地7時36分発の阪急梅田行特急に

ついて、広告では従来の阪急三宮での

車両の増結を廃止するので、所要時間が

短縮されます、と書かれているのに、

上記の列車については、何故か高速神戸駅

に3分停車(現在は30秒程度停車)して、

結局新開地を発車する時刻と、終点の

阪急梅田に到着する時刻(8:19)は現在と全く

変わらないのです。

 

だのに三宮での増結を廃止する事で

所要時間の短縮を図ります、

などと広告に書くのは止めて欲しいもの

です。

 

かなり昔の話になりますが、

2006年に近鉄京阪奈線が開通した時の

大阪地下鉄中央線のダイヤ改正時にも

嘘を書いていました。

 

終点が生駒だった頃は地下鉄中央線の

日中のダイヤは7分間隔で列車が運転

されていました。

 

しかし学研奈良登美ヶ丘まで開通してからの

日中のダイヤは、生駒止まりが15分間隔、

学研奈良登美ヶ丘行が15分間隔で、

コスモスクエア⇔生駒間は7分30秒間隔の

運転となったのです。

 

要は、運転間隔が改正前より30秒長くなり、

実質的に日中のコスモスクエア⇔生駒間

については運転本数が減っているのです。

 

だのにその頃の大阪地下鉄の広告には、

ますます便利なダイヤになります的な

そんな文言が書かれていて、

私はかなり腹が立ったのでした。

 

本当に便利になっているのならともかく、

実際はダイヤ改正前よりも運転間隔が伸びて、

実質運転本数を減らしているのに何が

”ますます便利なダイヤになります”

やねん!!

と、私は納得が出来ないのでした。

 

そして改正から16年を経た今も、

未だにその運転間隔のまま運行されているのです。

 

一般の利用者は騙せても

鉄道マニア歴54年の私を騙すことは出来ない

のです。

 

なので各鉄道事業者は、

ダイヤ改正の際に嘘のPRコメントをするのは

止めて欲しいと思います。プンプン

 

 

 

 

今日は約一か月ぶりに幸福な一時を

過ごす事が出来ました。

 

良かった。ニコニコ

見当たらないんですよねえ、

1994年11月13日の夜、私が車で走った道が。

 

あれは当時私がドラマーとして所属していた

ファンクロックバンドで、フルーツフラワーパーク内

にあるステージでライブをした帰り道でした。

 

その日は確か、バンドのメンバーの弟さんの

結婚二次会がそこで開催され、その席で我々の

バンドで演奏をして欲しいと言うオファーを戴いて、

出演させて戴いたのでした。

 

ライブ終了後、ギャラリーの方々から、

”ドラム、上手いですねえ”

と言って戴いて非常に嬉しかったのを今でも

憶えています。ニコニコ

 

ライブ終了後はバンドメンバーで記念撮影をして、

ギターリストはベーシストと比較的自宅が近い事も

あって、ベーシストの車に同乗でしたが、

私とボーカリストは各々のマイカーで一人で

会場へ往復していたと思います。

 

当時はカーナビもなく、インターネットも普及して

いなかったので、事前に地図で調べてから現地へ

向かいましたが、帰り道は別に時間に縛られる

事もないので、道路標識を頼りに夜の道を割と

適当に車を走らせていたのでした。

 

その途上、片側1車線の2車線道路ながら、

両脇には歩道が整備され、規則正しく街燈が設置された

比較的新しく作られたと思われる道路を走ったのですが、

私の前後に走行する車はなく、また対向車も全くなく、

歩道を歩く人の姿もなく、少し不安な気持ちになって、

この道をこのまま進んでも多分家には帰れないだろう、

と直感で感じて、私は車をUターンさせて、

その道の分岐点まで戻って、他の道を走行して、

何とか家に辿り着いたのでした。

 

そして今更ながらストリートビューでその道を

探してみると、やはりどこにも見当たらないのです。

 

フルーツフラワーパークからはそんなに離れていない

距離だったと思われるのですが、それらしい道が

全く見当たりません。

 

10年くらい前に、私が一時ゴルフをしていた時に、

中学時代の同級生の女性と数十年ぶりにゴルフを

通じて再会したのですが、その女性は手相が分かる

人で、私の手相を見せて、と言ったので見せた所、

”あなたは一度死んで、また再び生きた人ですね”

と言われました。

 

その時は私はおそらく阪神淡路大震災に遭遇した時に

そのような手相になったのだろうなあ、

と思ってその女性にもそのようにコメントをしたのですが、

最近になってそうではなく、あの1994年11月13日の夜、

フルーツフラワーパークからの帰りに車で走った

あの道路が関係しているのではないか?

と思うようになったのです。

 

あの道路をUターンせずに、そのまま車を走らせ続けて

いたら、もしかしたら私は二度とこちらへ帰って来なかった

のではないか?

手相に現れていたのはあの時の事ではないのか?

と思うようになったのです。

 

上記の通り、綺麗に整備された道路ながら、

いくら夜とは言え、対向車も全く走っておらず、

私の前後にも走行している車が全く無い、

と言うのはかなり不自然に思えるのです。

 

丁度その頃、そのファンクロックバンドで

録音スタジオで音源を録音し、

記録を残したばかりだったのです。

 

ただ、その時はミックスダウンの内容が今一つで、

自分のドラムプレイについては完全に自分で納得

した出来栄えでしたが、全体の音のバランスに

私はかなり不満を抱いていて、ミックスダウンを

やり直さないとその音源を色んな人に聴いてもらう

のは嫌だなあ、と思っていたのでした。

 

そしてその約2か月後に阪神淡路大震災に遭遇し、

色々な事がありそのバンドでの活動も出来なくなって

しまったのですが、その2年後の1997年になって

ベーシストから連絡があり、

1994年に録音した音源のミックスダウンをやり

直したのでそのテープを渡したいとの事で、

ベーシストからそれを受け取りました。

 

ミックスダウンをし直したその音源は、私も納得の

出来栄えでしたので、それ以後色んな人にその

音源を配布して聴いてもらいました。

 

その音源は更に2005年にはCDにもベーシストが

焼いてくれたので、今でもそれを時々自分で聴いて、

やはり納得の出来栄えだ、と満足しています。ニコニコ

 

またその音源は、とあるプロのドラマー

(日本武道館でコンサートをしたバンドのドラマーです)

にも聴いて戴いた所、その方からも絶賛して戴いた

のでした。

 

なので、もし1994年の時点であの音源が

私が満足するミックスダウンの内容であったなら、

私はあの道路をUターンせずに、二度とこちらへ

帰って来る事が無かったのではないか?

そう思えてしまう、今になって思えば不思議な

体験でした。

 

と言いながら私のストリートビューの見方が悪いだけ、

と言うオチなのかも知れませんけどね。

 

でも対向車も私の前後を走行する車も、

全く存在しなかったあの道路は、

やはり何か曰くがあると思わざるを得ません。真顔

 

アリスの楽曲です。

 

You Tubeにアップされていたので実に

数十年ぶりに聴きました。

 

この楽曲を聴くと昭和54年、

私が中学2年の頃の日々が甦って来るのです。

 

この楽曲がヒットしたのは昭和53年なのですが、

昭和54年の春休み前に、当時私の同級生で

大のアリスファンであったT君にこの楽曲の他、

ABBAのダンシングクイーンやアリスの

冬の稲妻、沢田研二さんのLOVE 抱きしめたい、

円広志さんの夢想花など、当時のヒットシングルを

カセットテープに録音してもらって、それを毎日

のように聴いていたのでした。

 

T君は家が酒屋さんで、当時お店の奥にアパートが

あり、その一室をT君の勉強部屋として親御さんが

提供していたと思われ、そこにその当時でかなり

ハイスペックのオーディオセットが置いてあって、

T君は好意的に私をそこへ呼んでくれて、

私が聴きたいと言った楽曲をカセットテープに

録音してくれたのでした。

 

T君は学業優秀で人間としても凄く良い奴で、

親御さんも惜しみなくT君に勉強部屋だの

オーディオセットだのを与えていたものと思われます。

 

なので私にとってアリスの涙の誓いは、

昭和54年の思い出に繋がるのです。

 

この楽曲も、後に私がドラマーになるきっかけと

なった事は間違いありません。

 

少し前にこのブログで書いた通り、

私は父の勧めで中学2年からフォークギターを

弾き始めて、当時はよくこの涙の誓いも

自宅で一人でフォークギターを弾いて

歌っていたのですが、そうしていながら楽曲を

聴いている時は、ドラムのフレーズをしっかりと

聴いていた事を覚えています。

 

今回久しぶりにこの楽曲を聴いた所、

やはり中学2年の時に既に意識していたドラムの

各フレーズがその頃と同じように心地良く

聴こえて来たのでした。

 

矢沢透さんのドラムはやはり素晴らしい

ドラムだと思います。

 

昭和55年にヒットした 狂った果実 にしても、

当時ザ・ベストテンに出演した時の模様まで

You Tubeにアップされていて、40年以上を経た

今になってその映像を見ても、イントロのフレーズ

が終わって歌に入る前の矢沢透さんの

フラムを使ったドラムのフィルインが無茶苦茶

カッコ良い!!と思えてしまうのでした。

 

当時中学3年生だった私は、矢沢透さんの

フラムの8分音符でスネア、ハイタム1、ハイタム2、

フロアタム、スネア を順番に叩くだけの

シンプルなフレーズながら、凄く楽曲にフィットして、

またドラムフレーズとして無茶苦茶カッコ良い

センス抜群のドラミングを聴いて、

ドラマーになった事は間違いないと思います。

 

涙の誓いの Oh I LOVE YOU FOREVER の

歌詞のバックで叩かれているハイハットシンバルの

16分音符のフレーズを、やはりカッコ良いドラム

やなあ、と思って当時から聴いていた自分を

思い出します。

 

そしてこのブログで何度も書いて来た通り、

やはり私の人生はあの頃が本当に輝いていた

と改めて感じてしまいます。

 

鉄道車両にしても、音楽にしても、TVドラマにしても、

街の風景にしても、私好みのものが一杯世の中に

存在していて、何をしても楽しかった事を今でも

憶えています。

 

ラジオを聴くのも楽しみだったし、TVドラマを見るのも、

鉄道車両にしても古い車両も当時新車だった車両も

両方好きだったから、古い車両が廃車になって行く

寂しさはありましたが、新車として登場して来る車両も

私好みの車両ばかりでしたから、その移り変わりさえ

楽しむことが出来ていたあの頃、本当に幸福でした。

 

あの頃は私が現在大嫌いなシングルアームパンタグラフ

など、日本の鉄道界では全く存在していなかったし、

現在の各鉄道事業者の新車のような、奇抜な変な塗装も

されていなかったし、車両のデザインも現在の新車の

ような奇を衒った妙なものもなかったし、気品と大人の

雰囲気を感じられるものばかりで、私にとっては本当に

天国でしたが、今は私にとっては地獄です。

 

時代の流れだから仕方が無いのですが、

やはり私の人生は昭和55年か、昭和58年で完結して

いても良かったかなと、久しぶりに アリス の

涙の誓い を聴いて想ってしまうのでした。

 

因みにT君の親御さんが経営していた酒屋さんは

今は跡形もなく、当時のT君の勉強部屋であり、

豪華なオーディオセットが置いてあったあの部屋も、

やはり今はもう跡形もありません。

ドラムの音源だけ差し替えてリミックスしたの

かもしれないなあと憶測を立てています。

 

前回のブログでイギリスのシンガー ニック・カーショウ

のラジオミュージコーラと言うアルバムに

BIG COUNTRYのドラマーであるマーク・ブレゼジッキー

が参加しているのに、10曲目以外はマークらしさを

感じられないドラミングが展開されている事について、

そのような憶測を立ててしまいました。

 

ザ・フーのピート・タウンゼントのソロアルバムにも

マーク・ブレゼジッキーがドラマーとして参加して

いますが、それについてはマークらしいドラミング

を感じる事が出来ます。

 

なのでラジオミュージコーラでは、

最初はマークらしいドラミングでレコーディングを

実施した所、後でニック・カーショウから、

”もう少し全体に音数を減らしてドラムのトラック

だけ、録り直しをしてくれませんか?”

と言うオーダーに基づいて、ドラムのみレコーディング

をやり直したのかもしれないなあ、と憶測を立てて

います。

 

日本を代表するドラマーの一人であった、

故村上”ポンタ”秀一さんも、過去にそのような

コメントをされていた事があったと思います。

 

一旦レコーディングが完了した後で、

ドラムのトラックだけ録り直しをする事があって、

その時はドラム以外の楽器の音を聴きながら

ドラムを叩いて収録するので、

とても気持ちが良い、と言うようなコメントでした。

 

まあ、プロの世界ではそのような事は

当たり前にあるのでしょうね。

 

そして、そのオファーに応えられる演奏が出来るのが、

真のプロのプレーヤーなのだと思います。

 

まああくまでも私の憶測ではありますが、

もしラジオミュージコーラのレコーディングで、

上記の通りプロデューサーのオファーに応える形で、

マークがドラムのトラックを録り直して作品が

完成したのであれば、やはりマーク・ブレゼジッキー

は優秀なプロのドラマーと言う事になると思います。ニコニコ