私の今までの人生を振り返ってみて。
あれは昭和57年のある日、
私は阪急電車で梅田へ遊びに行って、
その帰りに西宮北口車庫に非冷房のまま屋根の
モニターの部分も含めてピカピカに塗装されて
いた、3003F8両編成に組み込まれていた2079が
留置されているのを見ました。
その頃は既に阪急電鉄でも毎年非冷房車に
冷房を取り付ける工事が継続されていて、
私が大好きだった3000系で非冷房で残って
いる車両は僅かな状態でした。
そんな状況の中で、非冷房のまま屋根のモニター
も含めて、全般検査(車検)を受けてピカピカに
塗装された2079を見て、私は歓喜したのでした。
以前からこのブログで書いている通り、
私は昔から鉄道車両は非冷房の車両が個人的な
趣味として好きなのでした。
しかしその編成をよく見てみると、
ピカピカになっているのは2079の1両のみで、
その編成の他の車両(3003、3530、2088、3053他)
の車体は、くすんだ艶が全く無いマルーンで、
2079だけが綺麗に塗装されていたのでした。
私はそれに気が付いてがっかりしましたが、
”いや待てよ、2079が1両だけであれ、これだけ綺麗に
整備されたのであれば、この編成の他の車両も、
近いうちに非冷房のまま検査を受けるかも知れないぞ”
と考えて、その事に期待を持ちました。
すると私の期待通り、それから数ヶ月ほど経ってから、
3003F8両編成の全車両が非冷房のまま全般検査を
受けて、ピカピカに塗装されて出場して来たのでした。
ただ残念ながら屋根のモニターについては、
2079のように綺麗に塗装をされていなかったの
でしたが、それでも私の期待通り、非冷房のまま
編成全体が綺麗に塗装されて正雀工場から出場
して来た事に、私は歓喜しました。
それからは幸運な事に、何度か3003Fに乗車する
機会に恵まれ、私は幸福な気持ちで乗車を楽しんで
いました。
阪急電鉄3000系は、昭和39年から昭和44年の間に
大量に製造された為、製造年度によって細かな
違いがある、鉄道マニアが喜ぶ要素を持った車両
でした。
特に非冷房時代の3000系は車内に細かな違いが
製造年度によって存在し、それを観察するのも
楽しみでした。
3003F8両編成だけを見ても、初期に製造された
車両と後期に製造された車両が混在していて、
同じ編成内なのに、1両1両個性を持っていた
のでした。
具体的には、3003、3053は最も初期に製造された
グループで、車内の客扉の上部のかもいの部分の
デコラが、左右の押縁の位置に合わせて、下部が
木目、上部が白の2色に分かれていました。
座席は扉の脇ぎりぎりくらいまであり、座席定員が
後期型と比較して多い事と、吊革が座席の前の
部分にしか設置されていず、ドア付近には吊革が
なく、長い吊革のみの装備でした。
それと比較して3003の隣に連結されていた3530は、
後期に製造されたグループであり、車内の客扉の上部
のかもいの部分は木目のアルミデコラのみであり、
座席は立ち席定員を増やすため、扉両脇の立ち席
スペースが広くなり、座席が短くなっている事と、
吊革がドア付近にも短いものが追加されていて、
ファンデリアの枠がアルミ製と思われる銀色の
無塗装のものになっていました。
(初期型、中期型はファンデリアの枠は白色でした)
同じ3000系でありながら、製造年度によってこのような
特に非冷房時代は細かな違いを楽しむ事も出来て、
私にとって非常に好みの車両だったのでした。
因みに3000系初期車の車内の客扉の上部のかもいの
デコラは、冷房改造の際に木目のみのデコラに張り替え
られていて、また吊革もドア付近に短い吊革が増設
され、中期型以降の車両の仕様に近づけられて、
個性を失ってしまったのでした。
そしてこの3003F8連が非冷房のまま全般検査を
受けてから、私の人生は僅かな期間ではありますが、
華やかな時を迎えたのでした。
当時ドラマー2年目の私のドラムは各方面から
高評価を受けて、後輩からバンド加入のオファーを
受けたり、夏休みには国鉄の旧型客車に乗車する
機会を得たり、私にとってこの上ない楽しい時を
満喫する事になったのでした。
それから時は流れて2004年、私が1980年からずっと
ファンであったレイニーウッドが本格的な再結成を
果たしてくれて、ライブ活動を再開したのでしたが、
この時期も私にとって、タップダンスを始めた事で
数々の楽しい出来事に見舞われ、私の人生が
華やいだのでした。
要するに、私の念願が色んな意味で叶った時、
私の人生が華やいだと言う経験をしているのです。
大学受験の時、数校に渡って受験をしましたが、
一番最初に受験した阪南大学の帰りに、
河内天美駅で近鉄南大阪線のラインデリア車
6059F3両編成が非冷房のままで全般検査から
出場して、屋根上の流入ダクトを含めてピカピカに
塗装されている姿で走行しているのを見て、
多分今日のテストは合格しているだろう!
と予想したら見事に合格したのでした。
(ただ阪南大学には申し訳ありませんが、その後、
神戸学院大学に受かったので入学はしません
でしたが・・・)
それから過去にこのブログで書いた事がありますが、
神戸学院大学受験の前日に、当時の国鉄福知山線の
旧型客車に三田から大阪まで乗車しに行きましたが、
その日も私が大好きだった車内が木製ニス塗りの
スハ42 62(福フチ)に乗車する事が出来て、
今日はスハ42 62に乗車出来たから、明日の試験は
きっと合格するだろう!!との確信に近い気持ちを
持ったのですが、やはり見事に合格したのでした。
なので私が好きなものが活躍してくれたり、私の望みが
叶う出来事があった時、私の人生は華やいで来たの
でした。
と言う事は、もうこれからは華やぐことは無い、
と言う事になってしまうのでしょうか??
シングルアームパンタグラフが撲滅されて、
元の菱形パンタグラフがスタンダードになって
くれたら私は一生幸福に生きて行けるのかも
知れませんが、それは絶対に無いと思われる
ので、やはり私の人生はもう華やぐことは無い
のだろうと思います。![]()
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